21回目の命日に思うこと

こんにちは、さやかです。



先日は、
母の21回目の命日でした。



当時高校生だった私も、
妻となり、2人の母となり、
母が亡くなった年に
少しずつ近づいています。



母の記憶は47歳で止まっているので、
なんだか不思議な感覚。



あの日から21年経って、
今は心から全てが必然だったと
思えている自分います。



母の喪失については
もう完全に受容できている状態ですが、
改めて振り返ってみようと思います。



目次

人生を問うこと

母の死が私にくれた最高のギフトは、
人生とは何かを問う」きっかけ。



21年前、
母を亡くしたことによって
心に受けた傷は、
それはそれは大きく深いモノでした。



死ぬことへの恐怖、
存在が見えなくなることへの恐怖、
消えて忘れられていくことの恐怖、
「私」がなくなることへの恐怖



「いつか必ず終わりが来ること」
を目の当たりにした当時の私(高校3年)は、

生きることも死ぬことも恐くて必死に、

生きるとは何か?
自分とは何か?
人生とは何か?
使命とは何か?

と答えを探し求めました。



毎日自分の心奥深くと向き合って、
自己分析を重ねながら
様々な角度から「心」について勉強して。



今思い返しても、
本当にがむしゃらにもがいていたなぁ。



でも、
これだ!と思う真理には
なかなか出会えず、

自己実現 /自己肯定感 /自己受容など、
本質を理解しないと惑わされる言葉達に、

たくさん振り回され、何度も心折れました。



そうしてたどり着いたのが、
ヨガの世界



ヨガの世界にわずかな
光を見つけたのが約8年前のこと。



そこから下の子の出産・育児をはさんで
5年前にYoga Teacher Trainingに飛びこみ、

瞑想やアーサナ、呼吸法の実践を重ねながら、
ヨガ哲学の学びも本格的にスタート。



ヨガの叡智には、
人生の本質的な要素が
とても論理的に説かれています。



そして、
私自身が母の死からずっと
問い続けてきたことへの答えだけでなく、

これまで抱えてきた生きづらさや
苦しさも明確にしてくれました。



哲学というとなんとなく、
堅苦しいような頭でっかちなような
受け取りにくいイメージがありますが、

ヨガ哲学への理解を深めていくと
論理的だけれどもとても感覚的で、

女性的な奥深さを感じます。



こうした学びによって、
それまで立て続けてきた「問い」が
本質的に深まっていった。



そのことで、
自己理解や自己解放が進んでいくと、
過去へのさまざまな感情や
想いがスーッと消えるような体験もしました。



過去が感謝に変わる
という言葉の通り、

その経験があったからこそ
ここまで自分を解放することができた

と実感できるようになった。



21回目の命日を機に、
苦しかったからこそ深く深く
人生と自分と向き合うことができたと、

母との別れを通して得た学びに、
今は心から感謝しています。


おわりに

どんなに苦しい経験も
どんなに蓋をしたい経験も、

そのことと正面から向き合い
理解につなげることができた時


心の奥底から解放されていくのだと思います。



どんなことも自分にとって
必要で完全な経験で、

どんなできごとにも意味があって
ムダなことは何もない
から。



光を見失わずに向き合うことで、
見えてくる世界があるのだと思います。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


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では、また。

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