こんにちは、さやかです。
日々生活していると、
色々とニュースを耳にしますよね。
時折身の危険を感じるような
事件が起きたりすると、
すごく心配になったり、
不安になったりすることが
あるのではないでしょうか。
それはつまり、
「死」を身近に感じると
恐さを感じているということ。
何が恐いのでしょうか?
なぜ恐いのでしょうか?
死を身近に感じる時、
何がこわいのかというと、
「私」や大切な存在が消えること。
そしてそれは、
「私」や「大切な存在」が
いつまでも生きていると思い込み、
死を受け入れられていない状態とも言えます。
もちろん、
「死」を受け入れるなんて、
そう簡単にできることではありません。
もう自分は命に「執着」しないから
死は恐くないんだと、
簡単に割り切れる方が
なんだか違和感を感じます。
でもここで目を向けるべきは、
私たちは普段の生活で、
日々「死」を意識して生きていない
ということ。
身の危険を感じるような
ニュースを耳にすると、
突然不安が襲ってくるということは、
そうしたきっかけがないと
「死」を意識することがないということです。
なぜ日々「死」を意識して
生きられていないのか?というと、
すべてのことが変わらないと思っているから。
明日は当然のようにくると思っていて、
未来は当たり前にあると思っていて、
今一緒にいる人はずっと一緒だと思っていて。
いつかは訪れる「死」をどこか分かりながらも、
日々心の底から「死」を意識して生きることがない。
平和ボケというのは、
「死を意識して生きていないこと」
なのですね。
「死」を意識していないことの
何が問題なのかというと、
今を真剣に生きることができない
ということ。
いつかやろう、
またやろう、
今度でいいやなどと、
常に思考が未来に囚われてしまって、
今を真正面から生きられないのです。
「死」を身近に感じる機会に大切なのは、
自分自身がどれだけ
「今」を生きられているのか?
と問われていることに気づくこと。
全ては変化していく
という理解を深く落とし込むことで、
瞬間瞬間を必死に生きられるようになります。
そして、
今を生きられるようになるほど、
自然と「死」の受容も
進んでいくのだと思います
(一生かけて向きあうテーマではありますが)。
そんなことを考えていた先日、
平井大の誕生日メッセージを
たまたま目にしました。
「歳を重ねるたび、
愛してやまない人との別れが
一歩ずつ近づいてきていることを
改めて実感させられますが、
だからこそ一分一秒を大切に
生き抜こうと思えるもの」
正面から「死」を見つめるからこそ、
今を大切に生き切っていきたいですね。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
今この瞬間を生き切って過ごせますように。