どんな瞬間も大切な瞬間

人生を見つめる

こんにちは、さやかです。



先週の大雪は、
ウソだったかのように、
週末で一気に溶けました。


まだ復興中の地域もあるようですが、
スーパーの物流も戻り、
日常が当たり前に過ごせることに
感謝を感じています。


さて、
先週は1週間子ども達が家にいましたが、
自分のやりたいことと、
子どもの相手をすることの狭間で、
イライラする自分がいました。


そこから色々と紐解けたので、
今回は全ての瞬間に集中する、
についてお届けしたいと思います。


学校がお休みの子どもにイライラする

急な学校の休校…
しかも1週間…


こんなこともあんなことも、
やりたい予定だったのに~!
となりますよね。


コロナの中で、
色々と試行錯誤術は磨いたので、
やりたいリストを減らしてみたり、
TVやipadの時間を増やしたり、
すぐに工夫はしました。


でも、
やっぱり子どもがいると、
自分の思い通りに、
自分のやりたいことは進まない。


あーだのこーだの必ず
子どもに邪魔されてイライラする。


でも、
自分のことを優先したくて、
ちょっと今これやっているから、
終わるまで邪魔しないで!

と言ったりすると、
罪悪感を感じたり。


今年のテーマは、
”流れに身を任せて生きる”なので、
その観点から言うと、
子どもに話しかけられたら、
対応するのが流れ。


でも、
1日何十回も話しかけてくる
子どもの相手をしていると、
だんだんと自己犠牲感が出て、

頑張って我慢している状態は、
とても流れに乗っている様には、
感じられませんでした。


子どもを優先した方がいい
と思う自分と、
自分を優先したい自分の狭間で
揺れ動いている状態



これって本質的には、
何が苦しいってことなんだろう?
と紐解いてみました。


どんな瞬間も集中する

私は半眼で瞑想中に、
”まばたきをすること”
が気になっていました。


何が気になるんだろう?


考えていくと、
私はまばたきをすると
集中力がそこで一度止まる様に
感じている
んだな、
と気づきました。


せっかく瞑想で集中しているのに、
まばたきをしたら集中が削がれて、
そこからまた集中し直さないといけない
と感じていた。



これを考えた時に、
子どもに邪魔されることと
繋がるなと思いました。


自分のことをしている時は、
集中できているけど、
子どもに話しかけられると集中力が途切れ、
また自分のことに戻る時に、
集中し直さなくてはならないと感じている。


だから、
集中を削がれること、
邪魔されることが嫌だった。



でも、
本来本気で生きるというのは、
常に安定して集中している状態のはず
です。


なのに私は、
ものごとによって集中力が
上がったり下がったりする状態。


集中力がものごとによって、
プツンプツンと切れるから、
苦しかったんだ、
と気づきました。


なぜものごとによって、
集中度合いが変わってしまうのか。


それは私が、
子供のことは集中するほど価値のないモノ、
自分のことは集中する価値のあるモノ

とジャッジしているから。


流れに身を任せる生き方に取り組んでから、
その日の直観的にやりたいこと
を感じる様にして、
そのつもりで過ごしていたけど。


その前にエゴのフィルターで、
自分が価値があると感じるモノの中から
やることを選びたい、
という意識があったのだと気づきました。


そうやって、
何かには価値があるけど、
何かには価値がないというジャッジ。


そのジャッジをしている以上、
常に集中した本気では生きられないし、

自分にとって
本当に必要な流れにはたどり着けない、
そう感じました。


おわりに

私がエゴでなく、
本質で生きたいと願いながらも、
エゴの意識を手放しきれないのは、

前へ進んでいないと、
to doをこなしていないと、
意味のある1日にしないと、

限りある人生を
本気で生きられない様で恐いから。


でも本当は、
最も本気で生きている状態とは、
今ココに集中していること。


そう頭では分かっていても、
自分が価値を感じるものに、
一般的に価値があることに取り組む方が、
本気で生きている様に感じてしまって、
そこがなかなか乗り越えられずにいる、
そんな自分を痛感しました。


恐いけど、
何かを成し遂げるための1日
を目指さずに、

自分が価値のあると思い込んでいる

ことだけをやらずに、

ただただ生きてみる

をやる覚悟をそろそろ決めよう、
そう思っています。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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