こんにちは、さやかです。
大学の時の卒業論文を元に 、
「愛する人を失うこと」
について整理してます。
具体的には、
・死別の心について
・母の死を振り返って(体験や気づき)
など。
今回は、
“悲しみ”という感情から、
死別と心について考えていきます。
(※2007年の卒業論文からの引用です。当時学んでいた死別心理学の考え方としてご紹介します。)
悲しみは直線で表されない
死別の悲しみは、
「直線で表せるほど単純なものではなく、
予想もできなければ、
穏やかで落ち着いたものでもない」
とされています。
死者を悼む気持ちは、
初期・中期・後期といったように
はっきりと区別されず、
感情が行ったり来たりして
様々な情緒を経験しながら、
少しずつ整理されていくものになります。
悲しみは季節のようにめぐる
死別を経験した人は、
不安、怒り、適応などの心の変化を
一通り経験します。
ただし、
一度経験したら終わりではなく、
新たな発達段階で
またその対象を必要とする度に、
また同じ心の流れをたどることになります。
人生における大きなイベントや、
その喪失した対象の助けなくしては
直面するのが恐い新たな難問にぶつかった時、
かつて経験した喪失の気持ちが蘇って、
一度乗り越えたはずの感情がまた舞い戻り、
新しい悲しみがめぐり始めます。
成人式や卒業式、結婚、妊娠・出産などは、
悲しみが結びつきやすい。
もちろん、時間と共に、
悲しみの度合いは薄れていきますが、
大切な人であればある程、
その人を忘れることはできないので、
悲しみが完全にゼロにはなりません。
悲しみの断続的表出
死者の命日、誕生日や結婚記念日など、
その対象がいたときには
特別だったお祝いの数々は、
悲しみを蘇らせるきっかけとなります。
「その日を迎えると、
心の中の感情や、記憶が昔のまま蘇ってくる」、
これは命日反応とも言われます。
時間がある程度経過しても、
愛する故人を断続的に思慕することは、
死者を悼む上で正常な過程とされています。
悲しみの受容
愛する対象の死を
腑に落ちて理解するためには、
何度も現実にぶち当り、悲しみ、
それを何度も繰り返すことが必要になります。
例えば、
母親を喪失したならば、
人生の途中で助けが必要になった時や、
抱きしめてもらいたいのにもらえない時など。
「お母さんはいない、
お母さんはいない、お母さんはいない」
そう現実にぶち当たることで、
それが死への理解につながっていく。
現実に繰り返しぶつかることが、
悲しみを乗り越える上で必要不可欠な過程となり、
そのことで、死を悼む勇気を、
少しずつ持てるようになっていきます。
(以上、2007年に書いた卒論より引用)
まとめ
私自身も、
死別の悲しみという感情は
簡単に整理できるものではないと
身をもって経験しました。
時間が経ったから終わるものでもなく、
乗り越えたと思った頃に、
ふと顔を出すこともあった。
でもそれは、
前に進めていないということではなく、
全部が必要なステップだった、
ということなのかもしれません。
悲しみは消すものではなく、
人生と共に少しずつ形を変えていくもの。
だから焦らずに、
悲しい時は悲しみ、
懐かしい時は懐かしみながら、
その時々に湧いてくる気持ちに
寄り添っていけたらいいのだと思います。
同じように大切な人を失った方へ、
少しでも参考になれば幸いです。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

