こんにちは、さやかです。
死による対象喪失の
特徴的な心理的反応である“悲嘆”。
今回は、
死による対象喪失が引き起こす悲嘆の中でも、
家族(親族)の死による悲嘆について、
情緒体験と心理段階をまとめていきます。
(以下、2007年に書いた卒論より引用)
悲嘆の定義
悲嘆は英語でGRIEFと表されます。
悲嘆の定義は、
死による喪失から生じる深い心の苦しみ。
一般的には、
この苦しみは一人で耐えなくてはならない
とされています。
悲嘆は、強い感情ないし、
情緒的な苦しみであり、
必ず心の痛みを伴います。
喪失した対象が、
遺族と近い存在であればあるだけ、
悲嘆は激しくなります。
ロバートバックマンは、
「親が亡くなるときには過去を失い、
配偶者が亡くなるときには現在を失い、
子供が亡くなるときには未来を失う」
と表現しています。
家族の死による喪失は大きく、
その分、悲嘆も大きくなります。
悲嘆の特徴
悲嘆の特徴として、
以下の5つが挙げられます。
(1)感情的反応
抑うつ、不安、怒りと敵意、孤独などの感情が、悲嘆により生まれること。
(2)行動的反応
動揺、疲労、号泣などの反応が、悲嘆により生まれること。
(3)態度の変化(対自己・故人・環境)
自己非難、頼りなさ、絶望、社会的任務からの撤退、幻覚、交友の拒絶疑い深さ、故人への執着、故人の行動模倣、などの態度の変化が、悲嘆により起こること。
(4)認知的障害
集中力欠如や、すばやい判断力欠如などが悲嘆により発生すること。
(5)生理的変化と身体的影響
食欲喪失、睡眠障害、気力の喪失、頭痛、腹痛、消化不良、故人の最後と同じ症状の出現、薬物摂取量増加、筋力の欠如、病気に対する過敏などの症状が悲嘆により起こること。
悲嘆の種類
悲嘆は大きく分けて、
「正常な悲嘆」、「病的な悲嘆」と「先取りされた悲嘆」
の三つの悲嘆に分けることができます。
①正常な悲嘆
正常な悲嘆とは、家族の死を知った際に、
嘆き、悲しみ、後悔、
といったショックを感じることでです。
強い喪失を伴う死を通して、
人間が自然と感じるだろう感情により、
心の痛みや悲嘆を表現することを
正常な悲嘆といいます。
②病的な悲嘆
病的な悲嘆とは、
家族を亡くした後、悲嘆を感じなかったり、
時期がずれてしまったりしてしまうことです。
うまく心の中の痛みを
表現することが出来ない場合、
病的な悲嘆の状態に陥ってしまいます。
病的な悲嘆の具体的例を挙げてみます。
(1)悲嘆の遅延
死は取り返しのつくものだと考え、死別後に激しい悲嘆を表現しない。
かなりの時間が経過した後に、それまで抑制されてきた悲嘆が一気に表出されることになる。
悲嘆の遅延はの反動は、その期間と表現の激しさによって異なるが、故人の死の原因となった病気を患うか、喪失感を伴わないうつ病に陥ってしまう。
(2)慢性的な悲嘆
死後も長期間にわたり、故人を執着し続けること。
不安、緊張、恨み、自責が著しい傾向があり、悲しみ続けることが故人への義務と考えている。
最終的には、故人と再会するための手段として自殺を選ぶこともある。
(3)変化しない悲嘆
自分の悲嘆感情や苦しみが、ずっと同じ状態で、進歩の見られない際には、病的悲嘆になっている可能性が高い。
(4)悲嘆による健康損失
うつ状態や閉じこもりがいつまでも続き、心の痛みや心理的社会的機能の低下が長引くこと。
(5)感情の麻痺
嘆くことなく、何事もなかったような行動に出るケース。
心は苦しんでいるのに、周囲に向かっては何事もなかったかのように振る舞い、感情を押し殺している状態も同じ。
③先取りされた悲嘆
死が実際に起きる以前に感じる悲嘆のこと。
症状の悪化や意思からの余命宣告により、
死が起きたときと同じような悲嘆を経験します。
アルドリッチは先取りされた悲嘆の特徴を
下記の通りに挙げています。
・普通の悲嘆は長く続くが、先取された悲嘆は死と共に終結する。
・先取りされた悲嘆は、加速的に、短期間のうちに発達していく。
・先取りされた悲嘆では対象となる人が早く死んだらよいと感じることもある。
悲嘆のプロセス
悲嘆の感情を整理し乗り越えるためには、
悲嘆の中に自分を置き、
苦しまなければなりません。
そのために必要な段階のことを、
悲嘆のプロセスといいます。
悲嘆のプロセスの考え方は、
フロイトのモーニングワークとも異なり、
研究者によっても様々です。
以下、3名の研究者の考える、
悲嘆のプロセスをまとめていきます。
ボウルビィ(J. Bowlby)の悲嘆のプロセス
①第1段階
第1の段階は、麻痺です。
親近者が死んだ時、人は茫然とするか、
あっさりとその事実を受容しているように
振舞うかの二者に分かれると考えられますが、
両者共に冷静さを感じます。
しかしそれは、
現実を受容しているから冷静なのではなく、
死という現実の衝撃が
自我の能力を上回ってしまったために、
自我を防衛するために
冷静という状態として表現せざるを得ない
状況にいるということです。
②第2段階
第2段階は、抗議の段階です。
死の現実を認識する一方で、
意識的または無意識的に、
故人を回復しようとします。
そうすると人は、落ち着きがなくなり、
号泣し、故人を探し求めます。
時にはあたかも
故人が生きているかのように振舞う。
このように対象の死の受け入れを
抗議するというのが第二段階となります。
③第3段階
第3の段階は、絶望です。
死別という現実が勝利し、
故人との再会の望みが消えます。
これにより、遺族は、抑うつ状態になり、
周囲の状況、自分自身を空虚にするようになります。
このように絶望の中にいる間は、
不安でもあり、先が見えない状態です。
④第4段階
第4段階は、離脱です。
故人に向けられていた行動が、
この時期に至ると修正されます。
故人との関係の中で形成された価値観、
目標などは維持され続けるため、
迷った時に、故人だったらどう考えるかを想像し、
意思決定に影響を与えることもあります。
ブラウン&スタウデマイヤーとロバートバックマンの三段階説
①急性期
死後直後から数週間のショックの段階。
突然死や予期しない死であれば、
さらにショックは顕著になります。
頭が真っ白になったり、
体中の感覚がなくなったり、のどが詰まったり、
自分が現実の世界にいないような気がしたり、
又は号泣したり。
この時期にしっかりと泣いて、
心の痛みの深さを認めることが大切とされる。
②中期
死別後数週間から半年、
1年くらい続き、死者に心が囚われる段階のこと。
本人はまだ、
気持ちを整理する時間が必要と感じる一方、
周りは最悪の段階は過ぎたと思い、
少しでも早く正常な状態に戻ってほしい
という促しが起こります。
このギャップに、更に苦しんだり、
うつ状態に陥りやすい時期でもあります。
③回復期
人生が継続していることを認識しだす時期。
激しい心の痛みや悲しみを覚えずに、
故人について考えられるようになり、
最終的な受容の段階といえます。
今まで死別した人に囚われてきた気持ちが、
気持ちよい、懐かしさと優しさの気持ちで
思い出されるようになり、
新しい社会的、人間的関係に目が向くようになります。
ただし、
これは喪失を忘れたのではなく、
喪失に慣れて激しい情緒的な感情が
起きなくなったという事で、
傷つきやすさは残ります。
アルフォンス・デーケンの12の段階
(1)精神的ショックとマヒ
頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。
(2)否認
感情が受け入れられないだけでなく、死を現実として認めることが出来ない。
(3)パニック
先が見えなくなり、不安ばかりに取り囲まれパニック状態になる。
(4)怒りと不当惑
不当な痛みを負わされたという激しい怒りが湧きおこり、なぜ自分だけがこんな目に遭わなくては
ならないのだろうという気持ちになる。
(5)敵意と恨み
周囲や故人に対し、敵意や恨みといった形でやり場のない感情をぶつけるようになる。
(6)罪意識
死んでしまったのは、自分の責任だと自責感にかられる。
(7)空想形成
いないのは、出張しているから、旅行に行っているからと空想する。
(8)孤独感と抑うつ
葬儀などが一段落すると、まぎらわしようのない孤独感に襲われる。
(9)精神的混乱と無関心
日々の目標を失った空虚から、全くやる気をなくしてしまう。
(10)あきらめ
事実を事実として、受け入れていこうとする。
(11)新しい希望
忘れていた微笑が戻り、新しい自分へと成長していく。
(12)立ち直りの段階
新しいアイデンティティの誕生。
悲嘆と癒し
①グロルマンの10の指針
グロルマンは悲嘆を癒すための指針として、
以下の10の項目を挙げています。
(1)どのような感情も全て受け入れる:
否定的な感情でさえも受け入れなくてはならない。
(2)感情を外に表す:
心にあることを人に話すことが重要である。
(3)悲しみが一夜にして癒えると思わない:
悲しみをどうしたいも考えてみる。
(4)わが子と共に悲しみを癒す:
親は子供の感情表現のモデルとなる。
(5)孤独の世界へ逃げるのは間違った方法:
苦しみの意味を考えることで悲嘆を癒す。
(6)友人は大切な存在:
不安を整理するためには、話を聞いてくれる友人が必要。
(7)自助グループに力を借りる:
同じ体験を持った人の話は孤立感を和らげる。
(8)カウンセリングも悲しみを癒す方法の1つ:
専門家は癒しの最短距離を教えてくれる。
(9)自分を大切に:
自分を責めないことが癒しへの第一歩である。
(10)愛する人との死別という苦しい体験を意味のある体験に変えるように努力する:
苦しい体験から教訓を引き出し、死の悲嘆を乗り越えることで人間的成長をもたらす。
②レジャーによる癒し
悲嘆を癒す手段として、
悲嘆と向き合うことは大事ですが、
時にはいつもと違った環境に身を置いたり、
違う視点から死を見つめるることも必要です。
自分と悲嘆だけの狭い世界で
ずっと考え続けていると、
苦しくて拒絶してしまうようなことも、
違う環境ではすんなり納得出来たり、
新しく何かが見えることもあります。
レジャーによる癒しとして、
以下のようなことが挙げられます。
(1)自然に身を置く
自分対自然という関係の間には独特な時間が流れる。壮大な山や海などの自然と触れ合うことで、ゆっくりと人生について考え、自分自身を見つめなおすことが出来る。全てを包み込んでくれるような自然の力は、何らかの力を与えてくれる。
(2)映画を観る
死をテーマとした映画は多く公開されています。例えば、「ポネット」、「半落ち」、「In America」、「今会いに行きます」、「死ぬ前にしたい10のこと」、「幸せな時間」など。こうした映画を鑑賞することで、死についての新しい考えや価値観を見出すことができるかもしれません。新しい考え方に触れることは、心を整理していく際に役立ちます。
(3)音楽
死をテーマに歌った歌を聞き、涙することで感情の整理を促すことも、心の傷を癒す方法の一つ。音楽自体にも、人の心を奥底から癒すことの出来る力があると、音楽療法等で立証されています。
(以上、2007年に書いた卒論より引用)
まとめ
このように、様々な研究者が、
愛する人を亡くした心について研究し、
その段階を整理しています。
近しい人を失った際の心理状況や、
その後の情緒過程は、人によって様々で、
1つとして同じものはありません。
でも、
悲嘆(悲しみ)の感情を乗り越えていく上で、
何かの指針があることは、
必ず支えになると思います。
そんな自分の経験からの想いを込めて、
悲嘆に関する考え方をまとめました。
少しでもお役に立てれば嬉しいです。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
悲しい想いをされている方へ、
少しでも生きる光になりますように。