失ってから気づく、当たり前の大きさ

愛する人を失うこと

おはようございます、さやかです。


突然、
縁起でもない話をするようですが…、
今朝、子どもを亡くす夢を見ました。


でもそこから、
心温かな気づきをもらったので、
潜在意識からの強いメッセージとして、
書き留めておこうと思います。



夢の中で、
子どもを亡くした私は、
泣き叫び、

どうしようもない悲しみと
やり場のない怒りを壁や床に
叩きつけてぶつけるしかない状態でした。


それでも全く埋まることはない、
心に空いた大きな穴。


何も変わらない現実、
どうあがいてももう戻ってこない、
その存在。


その存在、
ぬくもり、
オーラ、
笑顔、
当たり前だった日常。



戻ってきてほしくて、
でもどうすることもできなくて、
苦しいなんて言葉では表せない痛み。


ただそこにいる、
存在することが
どれだけ意味をなしていたか



失ってから気づく
その当たり前の大きさ。


これは私が母を亡くした時に
経験した想いのそのものです。



母の喪失してから、
命には限りがあるということを、
忘れたこともないし、

限りある命を生き切りたいからこそ、
毎日を懸命に生きているのですが。


どうしても
日常に埋もれがちな私に、
今朝の夢は大事なことを
思い出させてくれました。



ここ最近、
子ども達の学校が始まってから、
自分の時間ができたこともあって、

自己探求にのめりこむ自分と
家族を大事にしたい自分とで
行ったり来たり。


ふとすると、
自己探求の方が大事になって、
家族に時間を取られることを
煩わしく感じてしまうこともありました。



でも、
「人は決して1人では生きていないよね。

家族や周りがいてくれる、
その存在がそこにいてくれるから、
私もここに在ることができる。

それは心の支えという意味でも、
世の中の完全性という意味でも。

その存在がそこにいるだけで、
どれだけの意味をなしているか、
それを忘れないでいたい。

謙虚さを忘れて、
傲慢にならない
ように。」


そんな、
メッセージと共に目覚めた朝でした。



起きてきた子ども達には、
たっぷりと感謝と愛を伝えました。


分かっているはずなのに、
日常に追われるとどうしても、
大切なことが見えなくなりがち。


自分に余裕がなくなると、
大切なことが分からなくなる。


だからこそ、日々、
自分を満たすこと、
自分を整えることが大切
ですね。




そして自分からのこの言葉。

>その存在がそこにいるだけで、
>どれだけの意味をなしているか、
>それを忘れないでいたい。


これって、
自分という存在に対しても
言えることです。


ここにいるだけで、
存在するだけで、

すでに意味をなしている、
世界の完全性に貢献している



自分の存在についても
そんな風に認めていきたいなぁ。



大切なことを大切にするために、
まずは自分に優しく!から始めましょう。

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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