どんなことも「大変だった」で終わらせない、コロナでもね

人生を見つめる

お久しぶりです、
青山さやかです。



すーーっかり
更新が滞っていましたが…
コロナと闘っていました。



後遺症から回復して、
日常生活に戻るまでほぼ一ヶ月。



なかなかハードな戦いでした。



今回は、
コロナと闘いながら、
気づきが山のように降ってきた
こ子最近について、
お届けしたいと思います。




コロナ発覚までの経緯

一時帰国から戻った7月末から、
夏休み最後の旅ということで、
コロラドへ行ってきたのですが。



そこから戻ってきて、
バタバタと新学期の準備をして、
としていたら熱が…



夏の疲れが出たかなと1日休み、
次の日には微熱まで下がったので、
ゆるゆると過ごしていました。



でも夜になるとまた熱がぶり返し、
身体のだるさもなかなかキツイ…



風邪や疲れとは違う気がすると、
次の日にPCRテストを受けに行くと、
ポジティブ。



「やっぱりか、やっちまったな」、
というのが最初の気持ち。



夏の疲れから、
免疫が落ちていたのは明らかでした。



一時帰国からのロードトリップ、
その後の初めての小学校の準備など、

身体からの
「もう限界だよ、やすませてくれー」
という声は十分聞こえていました。



でも、
止まることができなかった。




すぐに部屋を隔離して、
隔離生活スタート。



子ども達とも、
ドア越しにしか話せなくなり、
ここから10日間会えないのか…と。



大好きだよって
抱きしめられることも、
ほっぺにキスをすることも、
目を見て話せることも。



本当に毎日のすべてが特別
だということを、
いつだってこうなってみないと、
忘れちゃっている
んだなぁ…



としみじみしているのも束の間、
次の日には長女が熱を出し、
その次の日には長男が、

次から次へと隔離部屋に来て、
賑やかすぎて休めない~
という結果になりました。



そして、
私の発熱から一週間後、
最後のトリデだった旦那もかかり、
家族全員でコロナ中という状況に
なってしまいました。



デトックスタイム

子ども達はそれぞれ、
1-2日熱を出して咳が出た、
くらいで終わりました。



私の症状はというと、
最初に38度くらいの熱が2日出て、
その後はずっと微熱。



37度後半の熱がくすぶって、
微熱だけど身体が重くてダルくて、
ぐっすり眠れないしで、
なかなかキツイ日々でした。



でも、
身体の学びを深めていることもあり、
熱が出たり痰が出ることに、
懸命にデトックスをして闘ってくれる
身体への感謝を感じました




1週間以上微熱と、
引きずられる様なダルさが続きましたが、
不思議とそこに恐さはなかった。



それだけ毒素がたまっていて、
そのせいで自然治癒力が落ちているから、

懸命にデトックスをしながら、
闘わなくてはいけない状況なんだな、
と見つめる自分がいました。



いつだって身体は全力で、
私たちが生きるために、
絶え間なく努力してくれている




それを、
エゴ=思考や感情で、
踏みにじる様なことをしてはならない、

つまりは、
空腹を埋めたいとか、
舌の欲望を満たすために、
食べることは真の食べることではない、

そんな風に感じました。



後遺症のこと

私は結局1週間ちょっとで
微熱は下がりさがりました。



ただそこから1週間ほど、
関節痛で夜眠れないという日々が続き、
一ヶ月近くなる今でも、
夜ぐっすり眠れない状態です。



きっと、
長い戦いから癒えるには、
時間がかかるのでしょうね。



ちなみに、
旦那の後遺症の方がキツくて、

軽い肺炎を引き起こして、
酸素数値が上がらず、
自宅で酸素吸入ということに。



あの機械を自宅に持ち帰らせるとは、
さすがアメリカ、衝撃的でした。



アメリカの医療システムのせいで、
ERと病院を行ったり来たりでしたが、
肺は傷ついてしまった以上、
癒えるまで待つしかないとのこと。



1週間近く、
しんどい日々を過ごしていて、
体重もかなり落ちてしまいました。



でもそんな状況からも、
様々に気づきがありました。




詳しくはまた改めて書きますが、

例えば私の中で何度も気づきや
メッセージをもらっているのに
なかなか手放せない、

「期待にこたえなければならない」
「役に立たなくてはならない」
「要領よく効率よく手際よくなければならない」

など。



果たして本当にそうなのか。



旦那が弱り果てている姿から、
どんな環境や状況であれ、
その存在がそこにあることの完全性
を感じました。



逆に言うと、
その周りがあるからこそ、
「私」が成り立っている
ということ。



ティクナット・ハーンの、
「あなたはあなた以外の
すべての存在によって成り立っている」
この言葉が浮かびました。



こうやって少しずつ、
この世界の完全性や、
目の前のできごとの必然性が
理解できていくのだと思います。



そしてそれは、
どんな自分だったとしても、
今ここにいることの完全性の理解へ。



更に、
その完全性への理解が深まるほど、
ベキネバを手放すことができ、
自分の本質で自由自在に、
生きることができるのだと思います。



おわりに


「コロナにかかる」
という事象を事象でしかみれないと、

「大変だったね」
「もっと気をつけなくちゃね」
などという理解で終わってしまいます。



大切なことは、

なぜその事象が起きたのか、
自分の中のどんな意識がそうさせたのか、
どんな問いかけを受けているのか、


そう深く見つめて、
全ての出来事を自己理解につなげていく

ということです。



モヤモヤする、
違和感を感じる、
イヤだなと思う、
辛いことが起きる…


そんな時には、
それを環境や相手のせいにしたり、
コントロールしようとするのではなく、
自分自身に立ち返ることが大切です。



(本当に本当にこの意識大切ー!!!)





最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

人生を自己責任で生きる、
これが深まると人生が動き出します。

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