宇宙愛に気づいたら聖人になれるのか?

人生を見つめる

青山さやかです。



今朝もなんだかバタバタし、
学校遅れるよー!!と子どもたちを急かし、
少しイライラしながらの出発。



「お母さん、
いっつもそうなるんだからぁ」
と言われました..



図星…
どうしてもギリギリ族なんだよなぁ。



今回は、
そんな自分の心のクセと、
あふれる愛に気づいた自分とを
統合していく道のりについて、
お届けしたいと思います。



しぶとい生き方のクセ

どうしてなんだろう?
どうしてギリギリがいいんだろう?



観察していくと、

できだけ色々詰め込みたい、
忙しい方が充実感を感じられる、
余裕を持って出て余る時間がもったいない、

そんな心が見えてきます。



つまり、
「バタバタするのが好き」
なんですね。



いやでもさ、
それで心に余裕なくなって、
焦ってイライラして今を見失っていたら、
元も子もないよね。



色んなことに挑戦したり、
やりたいことが山積みだったり、
忙しいことそれ自体には、
何の問題もありません。



でも、
そのベースにある心に、
何か不足感はないだろうか?
ということです。



忙しくしている方がえらい、
時間に余裕のないほど頑張っていないとダメ、
ゆっくりすることはだらけていること、
とか。



これらは不足感からの囚われになります。



不足感からの囚われ、
これが、
しぶとい生き方のクセの正体ですね。




愛あふれる自分との統合

先日、
自分の中に愛を見出した
と書きましたが、

愛溢れる場所を知ることができても、
生き方のクセは変わらないのだなぁ、
と感じています。



自分の中に愛を見出し、
愛は制限があるものではなく、
自分がブロックさえしなけれあば、
永遠に溢れ出てくるものなんだ

と大きな宇宙愛に気づけた先日。



それでも、
今まで基本的に全てがライバルで、
競争という分離の意識で生きてきたので、

愛あふれる人としての
生き方(ツール)が私の中にはなく、
どう行動したらいいのかが分からない、
というのが正直なところです。



長年探し求めていた、
愛には気づいたけれども、
日常を生きるのはいつもと変わらない
「クセ」のまんまの自分。



愛に気づけたことが、

=世界の完全性の完全な理解
=不足感が完全に手放せること
=囚われが全て外れること

ではなかったようです。



だから日常は、
今朝の出来事の様に、
まだまだ囚われだらけです。



宇宙愛に気づけば、
聖人になれると思っていたけど、
それは甘かったみたい 笑



でもきっと、
気づけていないだけで、
心の芯ではもうすでに何かが変化している、
そんな風にも感じます。



ここから、
愛をベースにした、
新しい人との関わり方を学び、
実践を通して愛を深めていく中で、
その変化をじんわり実感していくのかな。




おわりに

そんなこんなでここ最近は、
愛とは何だろう?
愛で生きるって何だろう?
と観察しながら過ごしています。



その中でも、
真に愛を循環させるとは、
どういうことなんだろう?と。



愛をケチるでもなく、
愛を与えるでもなく、
「愛をただシェアする」ことが、
真の愛の循環の姿な様に感じる。



つまりそれは、
どういう感覚なんだろう?



しばらくは、
愛との問いかけを味わう時間になりそうです。




今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございます!

日常に穏やかな愛を、
一体感を見いだしていけます様に。

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