映画『素晴らしきかな、人生』を見て

映画・本のこと

Collateral Beauty、
という映画を見ました。



日本語では、
素晴らしきかな、人生。



子どもの死といった、
暗いストーリーが主軸にありながらも、

命の美しさや人生の輝き、
人の可能性に感動せずにはいられない、
とても美しい作品でした。



Collateral Beautyとは、
幸せのオマケと訳されていましたが、
付帯的/二次的な、美徳/すばらしきもの、
という意味です。



どんなに苦しい、辛いことにも、
必ずCollateral Beautyがあるということ。




私は18歳で母を亡くしてから、
人生を必死に1人で耐え抜いてきた、
という想いが常にありました。



もちろん、
色々な人に支えてもらったという
事実は理解しているのですが、
最後はいつもたった1人で踏ん張ってきた、
という感覚。



その強さがあったからこそ、
悲しさから前へ進むことができた
という面もあります。



でも、
1人で踏ん張ってきたという想いは、
強靭な自己への執着を生んでいました。



私の苦労を分かるはずがない
=むしろ分かってたまるものか
=世界はみんな敵である
=私は私、あなたはあなた
=私が幸せならそれでいい



傷づいた心からの自己への執着は、
強い分離の意識につながります





この部分を見つめ続け、
傷づいたのは一体誰なのか?
と問いをもらう中で、

ある時スーッと、
母の死から1人で耐え続けてきた「私」と、
自己原点が分離していきました。



傷ついていたのも、
悲しみにしがみついていたのも、
孤独を感じていたのも、
自己本質ではないその周りの部分。



頭では分かっていたことが、
自然と身体奥深くに落とし込まれ、
その手放せなかった部分すらも、
クリアに分離されていく感覚。



それと同時に自分の中の、
愛や思いやりと癒しに
満ち溢れたような部分に出会いました



それは、
すごく安心感のある、
常にいつもそこにいてくれた、
「私」を信じて決して諦めることなく
光を送り続けてくれた、
すぐそばで信じ続けてくれた、

確固たる存在があったことへの気づき。



「私」は決して1人じゃなかった、
これまで肩肘張って生きてきた力が、
一気に抜けていく様な感覚でした。



人生を全うしようと、
生きようとするとめどないエネルギー、
これが自己本質・原点だったのか、
そしてそのエネルギーは全て愛だったのか、
と。



過去の全ても、
パタパタと愛に書き変わり、
周りからの深い愛にも深い理解が生まれ、
涙が止まりませんでした。



やっと上辺ではない、
ホンモノにたどりつけた感覚があります。



これがきっと、
Collateral Beauty。



大きな悲しみは、
自己本質=大きな愛に気づく原点となる、
と今は確信しています。



どうしようもない喪失感を味わい、
自分を見失いながらも探し続け、
その道があったからこそ気づけた、

心の中の愛にあふれる、
宇宙につながる、全てと繋がる場所。




そして、
ここまで自己本質を探究でき、
深いところにある真の愛にたどりつけたのは、
母の喪失があったからこそ。




映画のストーリーは、
愛と死と時間から展開されていくのですが、
私は特に「愛」の表現が心に残りました。

 
『愛は全て、全てに宿る、
今あなたの中にある痛みの中にすらも宿っている』



本当にその通りだった、
今なら心からそう思えます。




今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。

最後の扉に出会うその日まで、
光が差し込み続けます様に。



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