生きたいように生きたらいい

自分らしさの見つけ方

こんにちは、さやかです。



最初はワクワクで始めたのに、
気づけば「やらなくてはいけないコト」
になってなんだか苦しい…



そんな経験、ありませんか?



やりたいことが
「やらなくちゃいけないこと」
になってしまうとき




純粋に「やりたい」だったコトが、
「やらなくてはいけないこと」
になってしまうのはなぜか?



というと、
〇〇な自分になろうとして、
正しく生きようとしている
から。



〇〇って例えば、

・社会の役に立っている自分
・人に好かれている自分
・迷惑をかけない自分
・高い目標に挑戦している自分
・心穏やかな自分

…などなど。



自分にとっての、
こういう自分なら存在していい
と思える自分のこと。



「正解な自分になろうとする」



この裏には、

・社会の役に立てない自分は価値がない
・人に嫌われる自分は価値がない
・迷惑をかける自分には価値がない
・イライラする自分には価値がない
・高い目標に挑戦していない自分には価値がない

…そんな囚われが垣間見えます。



こんな風に、何か、
自分の価値を見出さなくてはいけない
と思い込んでいる状態って、

生きる軸が自分の外に置かれていて



相手にどう思われるか?
世間にどう思われるか?
社会にどう思われるか?

などと、
人の評価が生きる軸な状態。



その状態だと、

自分の行動・経験・人生において、

・評価され認められるのかどうか
・結果や成果が得られるのか

ばかりが気になる。



そうすると、

今自分がやっていることに
価値があるのかないのか

がとても重要な気がしてきます。



例えどんなに、
自分の興味から始めたことでも、
最初はワクワクしていたことでも。



純粋な探求心が、
結果や成果、評価に乗っ取られると、
そこで探求が止まってしまう



結果を出すにはどうしたらいいんだろう?
成果を出すにはどうしたらいいんだろう?
人に認めてもらうためにはどうしたら?
立派な人だと思われるにはどうしたら?….



そんな目的ありきな行動からは、
何の気づきもなければ、
面白みも感じられなくて。



その結果、
日々経験していくことが、
「やらなければならないこと」
になってしまうのです。



日々経験していくことを、
純粋に探求していくからこそ、
モノゴトは面白い




どう思われるか?を外して、
ただただ目の前の探求を楽しむ



そうすることで、
やりたいことがいつまでも
やりたいことであり続ける
から。



探求する姿勢ほど、
自分を高めるモノはないですね。



外に流れる意識を内に向けて、
マインドフルな生き方へ。



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では、また!

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