こんにちは、さやかです。
先日からお伝えしている通り、
お庭が色々と賑やかなのですが…
先日なんとリスが息絶えました。
何が原因だったのかは
わからないのですが、
見つけた時は庭の大きな
樹の下にうずくまっていて、
そのまま息絶えてしまいました。
自宅の庭で起こったできごととしては、
衝撃的なできごとでしたが、
家族で庭の隅にお墓を作ってあげ、
これもまた必然だったのだろうと思います。
最近はセミも鳴きだし、
1週間の短い命を終えたセミの姿も
見かける様になりました。
永遠はないということを
改めて肌で感じています。
子ども達もよく分からないながらも、
そんなできごとから、
色々と考えて学んでいる様子。
今回はこんな
終わりを意識する日常から深掘りした、
生きる上でのバランス感覚について、
お届けしたいと思います。
期限の意識とバランス感覚
”終わりを意識して生きる”
ことについては、
少し前の記事にも書きました。
ここでは、
有限を意識することで、
真剣に今と向き合うことができる
とお伝えしましたが、
これはもちろんとても大切な意識です。
ただ終わりを意識することには、
もう1つ意味があります。
ヨガ哲学では、
死とは全てを失うことであり、
握っているモノがない状態と言います。
死とは、
人生で執着している
全てを必然的に失うことであり、
逆にもう執着できない状態でもある。
握りしめているモノがない状態であり、
握りしめられない状態でもある。
つまり、
“死を意識して生きる“ことは、
”何も持たない状態を意識する”こと
でもあります。
何にも執着せずに生きるべきである、
何者かになるべきではない、
これを思い出させてくれるのが終わりの意識。
けれども以前の私は、
終わりを意識する故に生き急いで、
生きることに執着してしまい、
今を見失ってしまうことがよくありました。
もちろん期限があるからこそ、
真剣にその時と向き合っているつもりだったし、
その瞬間を充実させたいと思っていた。
でも、
充実した人生という結果を手に入れたいために、
未来を生きている状態になっていました。
この“矛盾”を解消させない以上、
人生はとても苦しくなってしまいます。
ここで大切なのはバランス感覚。
死を意識するけれど、生きることに執着ない。
充実した人生のために真剣になるけれども、
充実した人生に執着しない。
自分に磨きをかけるために、
必死に行動は起こしていくものの、
結果には執着しない。
今日死んだとしても後悔しない程、
瞬間瞬間を徹底的に生きる集中力を磨きながらも、
あらゆるものに執着しない。
これらのバランスです。
このバランスが取れずに、
何かに執着が生まれた時点で、
終わりを意識して生きることの有効性は失われる。
母の死から学んだ期限の意味を、
今そんな風にかみ砕いています。
世の中は矛盾だらけ
陰と陽の世界であるこの世の中は、
矛盾だらけです。
陰がいいと言ったら、
陽が否定されるし、
陽がいいと言ったら、
陰が否定される。
だからどちらかに偏ることは
苦しみに繋がります。
例えば、
向かいたい先をクリアにしたり、
目標を立てて未来を見据えるけれど、
未来を手に入れることに執着すると苦しくなる。
未来を見据えながらも、
今目の前のことに集中する意識が必要です。
または、
自分の軸をクリアにすることは大切ですが、
自分はこうだということに執着し始めると、
エゴが強くなって苦しくなります。
自分の軸や心地よさをクリアにしながらも、
“私“を手放していく意識が大切。
このバランスを磨いていくためにも、
前回の記事に書いた、
抽象度/視座を上げる意識は欠かせません。
そうしてバランスを探りながら、
高い視野で2つの相反する事象を見ていく時に、
相反するものが統合していくという、
陰陽統合が起きていくのだろうと思います。
おわりに
最近特に、
全てはバランスだなということを
実感する日々です。
執着を持たない意識が、
そのバランス力に磨きをかけてくれる。
相対的な世の中で、
どちらにも偏らずにいるバランス。
今の人生でのあらゆる経験が、
バランス力を磨くためにあるのだとしたら、
なんだかゲームみたいで、
大変な状況も楽しく感じてきますね。
日々乗っているボールの真ん中で、
逆立ちができるくらいまで
バランスが取れる様になったら、
何が起きてもこわくない!
日々のゲームを楽しみながら、
成長していきましょう。
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今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。
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