視座が上がると楽になる

人生を見つめる

こんにちは、さやかです。


この数ヶ月で自分が
どんどん緩んでいくのが実感でき、

幸せや感謝が沸き上がる感覚、
エネルギーが枯渇しない感覚が
少しずつ定着してきています。

その中で、
視座が上がっていく感覚を
とてもクリアに感じているので、
今回はそのことについてお届けします。

ヨガ哲学勉強会

先日、スダルシャナヨガ
オンライン勉強会がありました。

今はzoomで
日本の講座やセッションが、
いつでも受けられるのでとても重宝。

その中で最も印象的だったのが、
“ありのままの自分を壊すのがヨガ”
という話。


私はもともと自己分析が好きで、
自分のキーワードを明確にしながら、
過去を分析したり、
未来の目標設定をしたりしてきました。

ただ、ここには
他人にこう思われたいという、
他者軸が強く関係していた。

そこに価値観を探る
意識が加わったことで、

自分を縛り付ける価値観を
緩めることができ、
人生の主人公を自分に戻すことが
徐々にできるようになってきました。

この状態で、
自分の心が心地いいと感じる選択を
言語化したものが自分軸であり、
自分の生きたい世界観
になります。

私にとって
自分軸や世界観をクリアにして
生きていくことは、
ありのままの自分に気づき、許し、
受け入れていくという感覚でした。

せっかく大事にしたい
ありのままの軸が分かってきた中での
”ありのままをも壊す=手放していく”
という学び。

聞いた瞬間は
少しショックもありましたが、
この言葉をきっかけに
視座がぐんと上がりました。

陰陽統合の意識

視座が上がってくると、
”世界観を決める
⇔全てのことに執着しない大切さ”

が理解できるようになりました。

それは、
自分軸をクリアにすることと、
その自分軸を手放すという、
一度は真反対に感じられた2つが、
私の中で繋がって、
統合されたということ。

この考え方を
陰陽統合というそうです。


自分が自分であることを手放しながらも、
心地よさも思考も好きや得意も
全て幻想と分かった上で、
世界観や自分軸を定めていく。

でも
幻想だからとどうでもいいとならず、
自分を探ったり、
言語化していくことを楽しむ。

それが人生と捉えてみる。



以前も記事に書きましたが、
禅僧・南直哉さんの本に書いてあった、
”人生のそれ自体には
確かな意味がないのだから
わからなくていい”という考え方。

そしてヨガ哲学での
自分が自分である(自我)、
という幻想を手放すという考え方。


これらの抽象度の高い考え方と、
抽象度の低い”心の分析などのやり方”
が繋がった感覚です。

もっと先に行けば、
エネルギーさえ整った状態でいれば、
世界観や使命がおりてくる感覚を
味わえるのかな、と思っています。


ここ最近の学び、

陰陽統合の考え方
価値観を緩めること
執着を手放し前提を変えること

などなど。

点が繋がってきました。

視座が上がるとは
=木でなく森を見るということ。

枝葉を気にし過ぎないで
森を見る大切さを体感しました。

おわりに

ヨガ哲学の自我を手放す、
という考え方は
頭では分かっていました。

でも知識として知ったとしても、
腑に落ちるまでには
学びと実践の積み重ねが
絶対に必要だと改めて実感しています。

自分の成し遂げたこと=自分ではない、
それはあくまで自分が生み出した幻想。

そう考えてみると、
結果が手放せるようになる、
比較も手放せるようになる。

それによって何かに依存したり、
持っているモノとかでは測れない幸せを
感じられるようになるのだろうと思います。


視座が上がるととても楽です。

何でもいい。どっちでもいい。
(投げやりな意味でなく、自信溢れる意味で)



学びと実践を積み重ね、
視座を少しずつ上げながら
螺旋階段を上っていくような成長を
これからも共に楽しめたらと思います。

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今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。
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