生き急ぎがちな時に有効な考え方

人生を見つめる

こんにちは、青山さやかです。



さてさて、
電子レンジを使わない生活を始めて、
約2か月。


特に問題なく過ごしています。


なんだ~、
使わなくてもいけるんじゃん!
という感じ。


我が家では、
電子レンジの発する電磁波の話、
いかに食べ物を異様に過熱しているか、

という事実を知ってから、
電子レンジの使用をやめました。


突然始めたことなので、
何の用意もナシでしたが、
特に不自由なし。


我が家では、
主に残り物の加熱に使用していたので、

毎回小さなフライパンで
温め直すようにしています。


ちょっとした労力だけの問題、
だったようです。



今回は、
生き急ぎがちな時に有効な考え方、
についてお届けします。


人生の目的は登頂ではない

前回の記事で書いた、
「たんたんと」という姿勢。


これを探っていく中で、
生き急ぐことの要因も
分かってきました。



生き急ぐことの最大の要因は、
人生を登山にたとえた時に、

人生の目的が頂上にたどりつくこと
になってしまっていること。


どこか目的地があって、
そこにたどり着くことが人生の目的だと、

それまでの道のりは、
我慢や仮の人生という感覚
になります。



この視点で生きていた私には、
47歳で亡くなった母の人生が、

”道半ばで後悔しかない”
と映りました。


私の人生なんだったんだろう?
って思って死んでいったに違いない。



でも、
視点を少し変えると、
全く違う見え方ができます。


人生を登山とした時に、
その道のりを味わうことが目的だったら。



その瞬間を生き、味わうこと自体で、
人生が常に完了していると考えると、

人生がどこで終わったとしても、
すでに十分の意味をなしている、

と考えることができます。



人生を探求して
登頂することが目的ではなくて、
探求していること自体が人生。


こう考えると、
母の死の捉え方も変われば、
生き急ぐことの無意味さにも
気づくことができます。



到達地点に早くたどり着くこと
には何の価値もなくて、

今この瞬間をどれだけ深く豊かに
味わって過ごすことができるかで、

魂は成長していく。



それならば、
生き急ぐよりも、地に足をつけて、
一歩一歩をしっかり踏むことの方が、
よっぽど大切
だと分かります。


人生に目標達成的な価値を見出さずに、
今を味わってその瞬間を生き切ることに
集中していくこと。


何かになろう、どこかに着こう、
何かを得ようとなるから、
人は生き急いでしまうのですね。


腹落ちまでの心の持ち方

ちなみに、
ゴールに向かっている状態は、
結果に執着している状態です。


自分の思考やエゴで、
結果をなんとかコントロールしよう
としてしまっている。


こうなるとどうしても、
思考が先走ってしまい、

分かってはいるけど
未来が不安で仕方なくなります。


なぜなら、
結果に執着していくと、
意識が外に向いてしまうから。



でも、
登頂が目的ではない、
今を味わうことで人生は十分美しい


と頭では理解していても、
納得感には時間がかかります。


その間に、
こうした未来への不安が出てくる時は、
とにかく意識を内側に向けること。



周りの人がどれだけ進んでいるかとか、
周りの人がこうすべきと言っているとか。


参考にすることはあってもいいけど、
自分と比較する材料にはせず、

自分の人生に集中することです。



自分の人生に集中しきれた先に、
周りをケアすることができる
ので、

とにかく自分の軸を外に置かず、
意識を内に内に向けること。


これを意識するだけで、
ムダな不安や恐れに振り回されず、

登頂が目的ではないことを
腹落ちさせる過程を進むことができます。



みんな、
一歩一歩です。


必要な経験は、
あなたに最善のタイミングで訪れます。


だから、
誰の人生と比べる必要はないのです。


自信を持って、
今目の前のことを味わう練習を
重ねて行きましょう!


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

人生の生きづらさが少しでも、
リリースされていきますように。

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