生きづらさを乗り越える「たんたんと」という姿勢

意識をほどく

こんにちは、青山さやかです。



この週末はやきそばちゃんの
ダンスの発表会でした。


迎えた本番。


堂々と思いっきり楽しんで、
自信を持って踊り切っていました。




いい姿だなぁ、
と親ながらに胸に響くものが。


上手くやろうとして緊張したり、
間違えることを恐がることなく、

ただただ楽しんで、
自分のありのままを出し切る姿。




私はまだまだカッコつけて、
力入ってるとこがあるな…と、

よりありのままにありたいな
と思いました。



さて今回は、
「たんたんと」という姿勢、
についてお届けします。


たんたんとやる

このところ模索しているのが、
「たんたんとやる」というバランス。


「たんたんと」
取り組むことがなぜ大事か。


それは、
ジャッジや執着を手放して、
外のモノを自分の中に取り込むことなく、

客観的な視点を常に保って、
モノゴトに望めている状態だから。


つまりは、
自分の真ん中に生きる軸を置いて、
生きることができている状態です。



私はもともと前のめりな生き方
になりがちなタイプなので、

「たんたんと」
というスタンスでいるのが、
ちょっと恐かったりします。


18歳で母を亡くした時から、
ずっと生き急いできて、
限りある命をムダにしたくないと、
どうしても力んで頑張りたくなる。


だから、
「たんたんと」やることは、
私にとってはサボる様に感じて、
なかなか勇気がいることです。



でも、
前のめりな生き方は、
エゴを強める生き方であり、

地に足がついていないので、
真の意味で限りある命を
真剣に生きていないことだと分かり


できる限り力みや頑張りを
手放す工夫をしてきました。


ただ、
まだどこか恐さが残っていて、
バランスを崩しがち。


どこまでが本気で、
どこからが上辺だけで、
どこからがガツガツしているのか。


どうしても迷子になるので、
自分の中で少し整理してみました。


中道を歩む

ヨガでは、
モノゴトには3つの性質がある、
と言われています。


tamas、sattva、rajas。


怠惰な状態、
バランスした状態、
前のめりな状態、

この3つです。


この真ん中、
sattvaが最もエネルギーの高い、
安定して平穏で視座の高い状態
です。



ここに、
「たんたんと」を当てはめてみます。


tamas:
何も考えずにたんたんとやる
=こなしている
=意欲がない、気づきがない
=流れに流された生き方


sattava:
力を抜いて鋭さを持ってたんたんとやる
=ジャッジをせず、探求心を持つ
=結果そうなっていた
=流れを読む(感じる)生き方


rajas:
必死になってたんたんとやる
=目的へ最短最速で行こうとする
=何かを得よう、なろうとする
=流れをつかみに行く生き方



こんな感じになります。


このそれぞれの差が、
分かりやすいようで、
日常生活で落とし込もうとすると、
なかなか難しい。



でもこうして比べてみると、
私は何かをしようとする時に、

〇〇しようとなっていて、

やはりrajasな姿勢がまだまだ
強いのだなと分かります。



集中しよう、
気づきを得よう、
流れを読もう、
理解して分かろう、
意識を上げよう…


ではなくて、

今の感覚に集中して、
目の前のことを真剣にたんたんと
重ねていくだけ




その結果”気づいたら”、

集中していた、
気づきが得られていた、
流れが読めていた、
理解が深まっていた、
意識が上がっていた…

となっていたというのが、
中道を歩んでいる状態です。



でも、
たんたんと”こなす”のとは違うので、

ガツガツしない範囲で
集中力は研ぎ澄ましていく…

でも集中しようしよう!と
前のめりにはならない。


本当に絶妙なバランス力が
問われているなぁと感じます。



生きづらさを手放すには、
執着を手放した「たんたんと」
という姿勢はとても大切です。


でも、
「たんたんと」にも3段階あるので、
力み過ぎず/たるみ過ぎず、
真ん中を探求することが必要。



執着を手放し客観的に生きるために、
真ん中な「たんたんと」ある、
スタンスでいられていますか?


ぜひ自己対話を深めてみてください。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

あなたのエネルギーが最大化して、
使命のままに生きられますように。

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