こんにちは、さやかです。
秋の良い季節になってきましたね。
ダラスも日中は暑いですが、
朝晩は冷える日が増えてきました。
先日見た朝焼けが本当にキレイで、
朝から心洗われるような気分でした。
さて、
変わりたいと思って努力して、
でも変われていない自分にがっかり…
そんな経験ありませんか?
頑張らないことを頑張ってしまう
例えば、
自己肯定感を上げるために、
「ダメな自分を許す、どんな自分も許す」
とよく言われますね。
私の場合は、
「頑張っていないと価値がない」
という価値観が強かったので、
頑張らないことを許す
休むことを許す
できない自分を許す
など色々と試行錯誤しました。
でも結局は、
「自分を許す」ことを頑張ってしまい、
苦しむ結果になりました。
頑張らない自分を許してみる
=なんとか自分を許そうと力んでしまう
=結局頑張っちゃってる
=結局頑張っていない自分を許せていない
というループ。
これは、
頑張り屋さんだったり、
完璧主義さんに共通する傾向ですが、
この場合には見つめる視点を
少し変えてみる必要があります。
どうしたらいいのか
自己否定している状態も、
自己否定を否定している状態も結局は同じで、
ジャッジをしている状態ということ。
自己否定していても、
自己肯定していても、
陰陽どちらかに偏っている状態なので、
正解か不正解かのジャッジメントから
外れることはできません。
ジャッジに囚われている状態とは、
善悪の二元的価値観で判断している状態で、
それはつまり、
何かしらの価値観に囚われている状態です。
価値観に囚われている状態とは、
外の要素に生きる軸を置いている状態なので、
自分の中心軸を見失って生きづらい状態になります。
そうではなくて、
陰なのか陽なのかではなく
中心を探求する意識を持つこと。
そのためには、
問いを立てて探求することです。
例えば、
自己否定をするから苦しい
→自己否定はすべきでない
→自己否定は間違っている
→自己否定をやめよう!
ではなくて、
自己否定をするから苦しい
→なぜ自己否定をするのか?
→頑張るとはどういうことなのか?
→自己価値とは何なのか?
こっち。
前者はやり方しかみていなくて、
後者はあり方を探求できている、
とも言えます。
二元的なジャッジの世界から、
問いを立てて本質を探る世界へと
視点をシフトさせることができると、
見える世界がガラっと変わります。
手放すために反対をやる
今までと反対の価値観をやってみる!
ということ自体は、
とても大事な行動だと思います。
ただ、
「反対の価値観の自分になる」
必要はないということ。
つまり、
頑張らずにはいられない人が、
「頑張らない」「休むことをしてみる」、
ということは有効だけれども、
「頑張らない自分になる」
必要はないということです。
反対の価値観を持って行動してみて、
どう感じるのか?
心がどう動くのか?
どんな思考が動くのか?
を観察して、
陰陽の両方の世界を体験してみる。
そうして陰も陽も知った上で、
どちらでもない自分を探求して
どんな自分も手放していくことが、
中心に気づいていく道のりです。
○○な自分になることではなくて、
何でもない自分に向かっていくこと、
その意識がとてもとても重要なのですね。
今日も最後まで読んでいただいて、
ありがとうございます。
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ジャッジメントの意識に気づいて、
解放されていきますように。