高3での母の死を振り返って その5

心をほどく

こんにちは、さやかです。


前回まで4回に渡り、
母を亡くした時のことを振り返り、
自分自身の体験や気づきを
綴ってきました。


今回は、
母の死と5年向き合ってたどりついた、
私の人生観とこれからのこと、
についてお届けしていきます。

(以下、2007年に書いた卒論より引用)

死を認識すること

「死ぬこと」と「生きること」は、
表裏一体です。


母を亡くしてから
死について思考をめぐらせる中で、
いかに生きるかも考え続けました。


私自身、母を亡くすまで、
死について真剣に向き合ったことは
ありませんでした。


母親の死を経験して初めて、
大事な人の存在や、生きること、
人生について深く考えるようになった。


充実したより濃い人生を歩むために、
死の存在を認識することは
私にとって大きな要素でした。


日常とは遠い存在と感じていた
死という存在を知り、
死は必ず誰にもいつかは訪れるもの
ということを実感する。


そのことが、
人生に限りがあることを
強く意識することにつながり、
日々の一瞬一瞬の大切さを
実感することにもなりました。


一度きりしかないこの時期
この瞬間の大切さを知った上で、
人生を送ることはとても大事だと思います。


親近者の死を経験せずとも、
意識を向けてみる。


死を意識することで、
物事に対する考え方がガラッと変わることに
気づくと思います。


私にとって生きるを考えることは、
死を認識することから始まりました。


死生観による支え

私が悲しみを乗り越えていく中で、
人生の意味を見出すのは
なかなか難しいことでした。


やがては死んでいくのに生きる意味は何なのか、
なぜ人には死が訪れるのか、なぜ生きるのか…


そんな時に出会った一冊の本。
(参考: 「生きがいの創造」著・飯田史彦 )


その本には、
死後の世界は存在するという考え方をベースに、
人間の人生の仕組みについて書かれています。


 “死後の世界のこと、
 つまり人生と人生の間の世界のことを中間生と呼び、
 その中間生こそが生物にとってのふるさとであり、
 中間生は永遠の存在であるという考えです。



中間生での自分を成長させるために、
人としてこの世に生まれてきて様々な経験をする。


つまり、全ての人には、
今の世界とは別のところに永遠の人生があり、
それを充実したものにするために、
“この世”に旅に出てきているという考え方。


人生という旅を通して困難を克服することで、
次の人生(旅)ではワンランク上の困難が待ち構える。


人生は中間生で成長していくための
修行の場という位置づけです。


また、
“この世”で出会い、
影響を与え合う存在をソウルメイトと呼ぶ
という考え方についても書いてあります。


ソウルメイトとは、
生まれ変わりを繰り返す中でも、
特に結びつきの強い魂同士のこと。


ソウルメイト同士は必ず毎回の人生において
何らかの形で出会うことになっていて、
その人生での死期がばらばらであっても
中間生では必ず再会することができる。


ソウルメイトは、
数多くの旅を共に経験することで、
喜びや悲しみ、成功や失敗、
愛や許し、怒りや優しさ、
そして終わりのない成長を共に
分かち合うために存在するそうです。


ソウルメイト同士は
必ず何かしら影響を与え合う存在として
毎回の人生で出会うようになっている。


どのような人生にするか、
どのように影響を与え合うのかについては、
中間生においてソウルメイト同士で話し合い、
アドバイスをし合い、
誰といつどこでどのような関係で出会い、
どう影響を与え合うかを決定するのだそうです。


そう考えていくと、
誰の人生にも意味があって、
死にも意味があることが受け入れられます



例えば、生まれてすぐの赤ちゃんが
死んでしまったとします。


その赤ちゃんの人生には
自分の死が両親の成長を促すという
大きな役割があったと考えられる。


意味のない死は存在しない。


私の母の死も、
私や家族を強くさせ、
より深く生きるきっかけを与える役割を
担ってくれていたのかもしれない、
そんな風に考えられるようになりました。



ちなみに、
こうした輪廻転生の考え方は仏教の特徴です。


ただ、
信仰を持つとか持たないとかではなく、
死生観を持つことは生きる上で、
死の悲しみを乗り越える上で、
心の支えになると思います。


この本の考え方は、
不安だった私の支えになり、
生き続ける力をくれました。


腹落ちする死生観を持つと、
悲しみを受容し、
生きる意味を見出しやすくなる。


自分にとっての心地よい死生観、
模索してみる価値はあると思います。


生きる意味と人間関係

生きる意味を考える中で、
人とのつながりについて、
何度も思考を巡らせました。


人は絶対に一人では生きていけない。
日々、色々な人と関わり、
出会い、別れ、を繰り返しながら、
人とのつながりの中で生きている。


自分が回りに何らかの影響を与えることは、
人にとって、喜びや生きがいになります。


誰かに必要とされたり、
逆に誰かを必要としたりすることは、
生きる活力にもなる。


人は人とのつながりの中で生きて、
そこに生きる意味を見出している、
ということ。


「誰かの役に立って生きたい、
誰かに必要とされ、感謝されて生きたい。

自分の経験を誰かの気づきにつなげたい。
それが生きる意味なのかもしれない。」


そんな風に考えるようになりました。


いかに生きるか

どう生きるか、何が幸せかは、
人によって様々です。


私が行き着いた人生の目標は(2007年時点)、
「常に成長して自己実現し、人の役に立っていく」
ということ。


人間は常に成長していくからこそ
豊かに生きていくことができる。


そして自己実現を通し自分らしく生きることが、
生きる意味や生きがいにつながる。



そんな。


そのために、
目標設定を始めました。


自分がいかに死にたいか、
自分のお葬式でどんな声をかけられたいか。


そして、
自分にとってどのような生き方が魅力的か、
自分はどのような人間になりたいのか、
自分の強みや弱みは何かを考え、
書き出していきました。


そこから、
何歳までにこうなりたい、
これをしたいという短いいスパンで。


10年後にこうなっていたい、
そのために3年後にはこうなりたい、
そのために1年間でこれを成し遂げたいと、
落とし込みました。


自分のなりたい姿に近づくために
努力し、ステップアップしていくことは
生きる活力にもなりました。


人生における目標がないと
生きる意味を見失ってしまうことさえ
あると思います。


目標設定をすること、
そしてそれを達成するために
様々な事に目を向け挑戦、経験し、
自分の人生の目標を満たしていくこと。


それが、
生きる意味をクリアにして、
自分らしい人生、
幸せに生きることに繋がっていくと
今は感じています。


自分と向き合うこと

自分と向き合って、自分を知り、
そしてその自分を認めることは、
生きる意味・自分らしい人生を考える上で、
とても重要だと思います。


私自身、母を失った直後は、
自分の感情がコントロールできず、
いつも不安定な自分に嫌気がさしていました。


でも、自分の辛い感情や
ありのままの自分を見つめ、
心の状態と向き合うことで、
自分を受け入れる
ことが
少しずつできるようになっていった。


その後も、
心が不安定になるたびにその原因を探し、
自分の感情に向き合ってきました。


そうやって、
その時の感情と向き合うことで、
その痛みを乗り越えた時、
確実にステップアップした自分がいる。


母を亡くして5年間、
振り返ると確実に5年前よりも
強くなっています。


壁にぶつかるたびに
心と向き合うことは、成長を促し、
次、壁にぶつかる時には
またひとつ上の壁と出会うことが出来る。


そして乗り越えられた事実が
自信にもつながります。


人としてどれだけ深く大きくなれるか、
どれだけ視野の広い人間になれるかを
自分と向き合う中で模索して、
懸命に生きることを諦めないこと。


その姿勢が、
生きる意味を最大限に満たすことに
つながるように思います。


人生を楽しむために

人生を楽しんで生きて
納得して死んでいくためにも、
それぞれが自分なりの
生きる意味・軸を持つことが大切です。


自分の人生において何が大事で、
何のために生きているのかを考え、
自分なりの意味づけをする。
 

こうして定義した生きる意味は、
人生において壁にぶつかった時や
不安になったときの支えになり、
生きる上での軸となります。


生きる意味や自分らしい人生に、
正解はないです。



絶対というものがないからこそ、
自分なりの意味づけを導き出し、
一度出した答えを常に微調整しながら、
自信を持って人生を歩んでいく。


それが生きる意味を見失わず、
自分らしく歩んでいく人生に
必要不可欠なことではないかと思います。


(以上、2007年に書いた卒論より引用)

まとめ

この時にいきついた人生の目標
( 「常に成長して自己実現し、
人の役に立っていく」 )は、
根本的には今も変わっていないかな。


ただ、その後12年間、
人生を後悔しないために、
より意味のある人生を送りたい一心で、
自分を追い込みすぎてしまった私。


人生の意味付けを追いすぎて、
小さな幸せを感じることが
おざなりになってしまっていました。


今、自分自身の在り方が、
“がむしゃらに頑張る”から
“力を抜いて今を生きる”に変わりだし、
新たな人生がスタートしたところです。


母の死は私の人生を変えました。


でもだからこそ今の私がある。


自分らしく納得のいく人生を生き切りたい。


そこから湧き上がる強い気持ちを
バランスのいいエネルギーへ変えて、
最大限に人生を歩んでいきたいと思います。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

悲しい想いをされている方へ、
少しでも生きる光になりますように。

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