こんにちは、さやかです。
「存在だけで、
そのままでいていい存在」
そんな言葉を耳にする機会が
増えているように思います。
あなたは自分に対して、
存在だけで十分だと
心から感じることができますか?
今回は、
「不足している自分が許せない」
ということについて、
紐解いていきたいと思います。
動画配信はこちらから▷▷
「存在だけで十分」と感じられている状態
「存在しているだけで十分」
そう自分に対して感じられない場合、
それはどうしてでしょうか?
今日はここから考えてみたいと思います。
その理由は、
自分にはこんなできないこともあるし、
こんなダメなところもあるし、
あそこもここも足りないし……
と自分を形成する上で不足している持ちモノが
次から次へと思い浮かぶから。
反対に、
私はこんないいところがあって
こんなにスキルがあって優秀で、
こんなに経歴も結果も出しているから、
とたくさん持ちモノがあることで
自分の存在を証明しようとしている場合も、
自分に対して根底では
不足を感じている状態です。
つまり、
「存在だけで十分と感じられない」のは、
自分の存在(自己本質)
=自分を形成する持ちモノ
となっているから。
だとすると、
「存在だけで十分」と感じられている状態とは、
自分の存在(自己本質)
=自分を形成する持ちモノを手放した先に残るモノ
と理解できている状態です。
すべてを手放した、
何もない何も持たない何者でもない
魂としての存在自体が完全である、
と知ること。
まず、
ここまでのことをしっかりと
腹に落とし込むことが大切です。
その上で、でもでも、
それでも持ちモノが気になって仕方ない!!
「持ちモノが完璧でないことに
どうしても不足感を感じてしまう」
という気持ちが浮上してくることってありますよね。
これが、
不足している自分が許せない状態。
不足している自分が許せないのは、
どうしてなのでしょうか。
不足している自分が許せないのはどうしてなのか、
見つめていきたいと思います。
エゴは不完全で完全
さて、
自分を形成する持ちモノとは、
何でしょうか。
色々な言い回しがありますが、
「私」を形成している、
結果や評価、スキルや地位などから、
考え方、価値観、選択パターンなどの
この世界を見るフィルター、
マイルール・セルフイメージなど。
何度かお伝えしていることですが、
自分を「私」と認識するのはエゴの意識です。
エゴの意識というのは、
他者と自分とを比較した上で、
より自分らしい(もしくは自分に有益である)
と感じる要素に執着して、
それを取り込んで「私」を形成していくもの。
なので、
「私」を形成するのは、
外にある要素になります。
この世界に存在するどんな要素も
独立して完璧なものは一つもありません。
ということは、
どれだけスキルを身につけても、
どれだけ評価を集めても、
どれだけ知識を詰め込んでも、
どれだけいい考え方ができたとしても、
外の要素の寄せ集めで
完璧な自分になることはない
ということになる。
不完全な外の要素を
完璧にしようとするほど、
完璧になれない「私」に
不足感を感じ続けることになるのです。
つまり、私たちは、
エゴはどこまでいっても未熟であり、
完全になることはない、
ということに気づいて受け入れて、
許して理解していかなくてはならない。
「不完全な自分で完全(十分)だ」
と知る必要があるのです。
主観や評価を手放す
この世界に完璧な人間はいない、
ということ。
そして、
自分の長所と感じる部分も
短所と感じる部分も、
実は長所でも短所でもなくて、
この世界の完全なパズルを
成り立たせている一つのパーツ。
自分がどんなに
イヤだと感じていても、
ダメだと感じていても、
無力だと感じていても、
価値がないと感じていても、
自分の中に備わるその部分は、
全体の一部として役割を果たしていて、
必要な要素なのです。
一般的な”良い評価”という軸を手放していく。
そのことで、
エゴ「私」は不完全な存在と
理解することができたら。
不完全であることを許すことができたら。
不完全であることこそ、
宇宙の法則に沿った完全な状態なんだと
気づくことができたら。
どうでしょうか。
不足感が苦しくて、
どうしても不足している自分が許せないとき。
ぜひ探求してみてください。
————————————-
ブログ最新記事・最新情報のお知らせは、
ニュースレターにて配信しております
登録はこちら↓
日々の小さな気づき・マインドフルLifeTipsは
インスタグラムにて日々更新中↓
————————————–
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
青山さやか
https://lit.link/sayakaaoyama