心を失う忙しいという状態とは?

人生のしくみ

青山さやかです。



ダラスは毎日30度超え。



子どもたちは、
この時期に公園にOPENする
スプラッシュパークを楽しんでいます。



さて、このところ、
「忙しいさ」について
言葉の探究が深まってきたので、
シェアしたいと思います。




来週から一時帰国なのですが、
何やらかんやらで
なんだかバタバタして忙しくて
心も落ち着かなかったのですが。



一通りいったんひと段落して、
ふぅとひと息ついてみると、
目の前にはそれまでと
何も変わらない景色が広がっている
ということに気づきます。



でも、
その受け取り方はまるで違って、
忙しさが落ち着いてから見ると、
とてもおだやかで豊かでうつくしく、
もはや色味すら違うように感じました。



心の状態でこんなにも、
同じ景色が違って見えるのか、と。



そう考えていくと、
忙しい忙しいと焦っているのは、
自分の脳みそだけなのか、
と分かってきます。



こんなにやることがある、
こんなにやることがあってやばい、
これを終わらせないと大変だと、

「これは忙しい状態」
「やることがありすぎて大変」
と決めつけているのは
あくまでも自分のフィルター。



忙しい、追われている、
やばい、終わらない、どうしよう、
みたいなことを頭で思って、
脳がそう反応しているだけ

ということになります。



「忙しい」は
自分で作り出しているだけ、
だから
「忙しいは幻想」と言われるのですね。



実際は「タスクがある」
という事実があるだけで、
それ以上でもそれ以下でもなく、
ジャッジする必要はない。




そのフィルターをナシにして
目の前のことに取り組んだとしたら、
今この瞬間の目の前のことを
たんたんと順番にやるしかない

ということになります。



忙しいという言葉は、
心を失うと書きますが、
心を失っても心が平穏でも、
今この瞬間は同じひととき



今目の前にあることを
たんたんと積み重ねながら、
人生の理解を深めていく、
それしかないのです。


そこに焦る必要も、
追い込まれる必要もない、
ということ。



ここが分かってくると、
日々あれこれ起きる中で、
嵐のような状況にいたとしても
中心軸を見失いにくくなる

と感じます。



「あ、これは本当は
やばくなんかないんだ」と
忙しいという幻想を客観視できると、
ふと心が楽になります。



囚われが一つ外れてみて感じるのは、
心が囚われていることで、
目の前の美しさを見失っていることって、
本当にたくさんあるなということ。



まぁでも、
囚われは理解力のために必要なものなので、
囚われていることを観察する、
今そう行動し続ける自分を観察する、
この観察を積み重ねることで気づきが入り、
結果的に囚われから解放されるようになります





ちなみに私の場合は、
本当に扁桃体が暴走しやすく、
ヤバいヤバいモードが発動しやすいので、
副交感神経の働きUPも
意識して過ごすようにしています。


目の前の日常をありのままに
受け取っていけますように。

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