息子の入院と命を考えること

子育て

こんにちは、さやかです。



先週末から火曜日までの3日間
息子が急遽入院、
心が激しく揺れ動きました。



人生いろいろなことが起きますね。


息子の入院

先日6歳を迎えた息子。



10月に6歳児検診があり、
不整脈が見つかりました。



不整脈にも種類があるようなのですが、
ventricular tachycardia(心室頻拍)で、
心室細動に移行する可能性があるということで、
1ヶ月モニター観察を行うことに。



モニター観察を始めて1週間、
心室頻拍が頻発していると連絡があり、
急遽入院となりました。



薬で心臓全体の動きを抑えることで
ひとまず不整脈をコントロールでき、
3日目に退院してきました。


命の終わりを意識すること

心室頻拍がいつ心室細動に移行するかは
誰にも予知できません。



猶予のない状態ではないにしろ、
息子の命の危険を目の前にして、
やはり失うことの恐怖は
想像を絶するものだと感じました。



そして、
「生きているのが当たり前」、
「また明日もある」、
と無意識に思っていること、
死の意識への甘さも痛感しました。



本人は超元気なので、
目の前で入院している息子を見ても、
それでもまだ明日はあると思う自分がいたり。



20年前に経験した母の死から、
命やリミットについては
強く意識して生きようとしてきましたが、
日常で常に死への意識をキープするって
本当に難しいですね。



今この瞬間に集中して
本来すべきことを全うして生き切るためにも、
死を身近に感じていくことや
常にリミットを再認識し続けることの
重要性を感じました。


謙虚さを育む

人は命のリミットを
すぐに忘れてしまって、
いつまでも継続する
と思い込んでしまうということ。



でも、
いつまでも生きていると思うから
傲慢に「私」が活動し始めます。



リミットがあると思うほど、
謙虚になる心が育まれて、
モノゴトをありのままに見れる




人生の流れを読んでいくことについても、
命がいつまでも続くと思うからこそ
自分の思考(「私」意識)が邪魔して、
本当にすべきことを見失ってしまうのです。



今回の息子のことを通して、
本当に今人生の流れを読めているのか、
自分の思考で判断していないか、
改めて見つめ直す機会にもなりました。



思考優位を手放して、
「常識的視点」ではなく、
自分の感覚を研ぎ澄ませて
進んでいきたいところです。



それにしても、
子どもの死を受け入れることは、
それが完全性と分かっていても、
自分の死を受け入れることよりも
難しいように思います。


おわりに

今回のことを機に、
身体のしくみへの更なる探究心
が湧き上がっています。



子どもの選択というのは、
自分の選択以上に難しい。



薬漬けにするのも違和感だし
ただ手術をすればいいって話でもないし、
かといって自然療法だけで対応する知識も
まだ私の中で十分になくて。



命に関わらないことであれば、
もう少し長い目で見て
薬を服用せずに付き合いながら
解消していきたいところなのですが。



いつ心臓の信号が暴走するか分からない、
そこだけは避けたいと思うと
どうしても最低限の薬はやむを得ず、
回答のない中で学ぶ術を模索しながら
悶々と過ごしております。



でもまずは今できる範囲での
体調管理や代謝力アップへの配慮を
最大限にやることから、ですね。



そして、
この機会を息子にとっても
ただの出来事ではなく気づきとなるように、
どう導いたらいいのか、
そこも真剣に向き合っていこうと思います。



今身体に意識を向けるタイミングということや
身体のしくみを理解していけるように伝えたり、
自分自身の身体への理解を深めながら、
最大限サポートしていくこと。



人はやはり追い込まれないと、
突き詰めない弱さがあるなぁと
改めて感じているところです。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

死を意識して生きられますように。

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