自己満足と承認欲求のバランス

自分らしさの見つけ方

こんにちは、さやかです。



息子の不整脈の件を通して、
命にはリミットがあるということを
改めて目の前にしてみると、
「人の評価に囚われている人生」での
生きている世界の小ささを感じます。



生きているだけ、
その存在がそこにいるだけで
どれだけの役割を成しているか




子どもに対しては、
たくさんの人に評価されてほしいとか、
そうでないと生きている価値がないとは
一切思うことはないのですが。



それを痛感することで、
自分が自分に対して握りしめている
評価への囚われからまた一歩
解放されたように感じました。


自己満足と承認欲求の間

これまで、
私の中でずっとネックになってきた、
人の評価に対する囚われ。



誰かに認めてもらえないと価値がないとか、
たくさんの人の役に立たなくてはならないとか、
人に嫌われることへの恐れとか。



最近(ここ数ヶ月特に)は、
外に意識が引っ張られている自分も、
ただただ観察できてるようになってきたので、
すごく中心に戻りやすくなりました。



評価に対してたんたんと
あれるようになってきた感覚。



ただ今回改めて、
この「評価に引っ張られるクセ」を
見つめてみた時に、
「自己満足じゃダメだから」
という言葉が浮かんできました。



ここで思い出すのは、
社会人になって歌を始めた時に、
「自己満は趣味だから、
プロになりたいならたくさんの人に
評価されないとならない!」
といった様なことを言われた記憶。



その時に、
もともと人の評価に軸のあった私は
「自己満足はダメ
=多くの人に評価されてこそなんだ」、
と思うようになった記憶があります。



でも今改めて、
本当にそうなのだろうか?
と見つめ直してみる。



そうすると、
やはりここもバランスの問題、
ということが分かってきます。



自己満足というのは、
自分が心地良ければいい、
という意識なのでエゴの意識。



でも、
人に評価されなくてはならない、
とは承認欲求の意識であり、
これもエゴの意識です。



ここから分かることは、
自分だけの心地よさを乗り越えるために
他者を意識することは大事だけど、
逆に意識しすぎてそこに囚われてしまうと
今度は逆に偏りすぎてバランスを崩す

ということ。



自分だけの心地よさに囚われるのも
人の評価に囚われるのも、
どちらも違うということです。



囚われていること自体が違う、
ということですね。



つまり、
自己満足と承認欲求の間を取るには、
他者や評価をあくまでも
自分の中心や今ココに集中するための
アンカーとして意識することが大切

ということになります。



本当に中庸のバランスって絶妙ですよね。



「自分自身が自分に対して謙虚で
丁寧で素直であるために何が必要か?」
ここを問いかけてみると
バランスが紐解きやすくなるかもしれません。


おわりに

人の評価に囚われるクセというのは、
誰しもが持っているクセで、
ある意味一番根深いモノなのかもしれません。



それに囚われる要因は本当に多種多様で、
それぞれに見つめていく必要があります。



でも、
一つずつ紐解いていきながら、
自分の中の定義がクリアにしていくこと。



そのことで少しずつ一歩ずつ、
人の評価の軸に人生の軸を置くことが
解放に向かっていくことを感じています。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

中心軸で歩んでいけますように。

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