こんにちは、さやかです。
最近のブームは、
夫とランチタイムに
アメフトでキャッチボール。
天気も良くなってきたし、
身体も運動不足だし、
一緒に何かをする時間にもなるし。
こんな時間の過ごし方、
気に入っています。
さて今回は、
「幸せになる」をやめてみる
について。
変わろうとするほど苦しくなる
前回、
「全ての人の色んな要素が
自分の中にもある」
についてお届けしました。
その中で書いた、
”コントロールしたい「私」が
自分の中にいることに気づいた”話、
覚えていますか。
コントロールしたい「私」がいる、
だからそんな自分を変えていくという、
「より良い自分になっていくんだ!」
そんな意気込み。
でもね、
こんな自分を変えなくてはいけない、
そう思っている以上、
幸せになることはできないんですね。
〇〇な自分じゃなくなったら、
もっと自由になれる。
〇〇な自分じゃなくなったら、
もっと豊かさを感じられる。
自分がもっといい自分になれたら
幸せになれるんだ、そんな意識。
でも実際は、
自分心のクセをなくそうとするほど、
どんどんと苦しくなります。
変わるためにやる、の負のループ
先に言っておくと、
人が何か行動を起こすためには、
やっぱり何かきっかけが必要。
だから、
今目の前のことが苦しいから、
・今を変えたい
・今の自分から脱したい
そう思うこと自体を
否定している訳ではありません。
むしろ、
行動へのエネルギーになるので、
必要な原動力だったりする。
ただ、そこから、
「変わる」という結果に
執着してしまうと苦しくなるってこと。
「変わること」に執着すると、
変わりたいからこうしなくちゃ、
変わりたいからあぁすべきだ、
となって、
結果的に、変われていない自分を
自分で否定していくことになるから。
わかりやすい例えで言うと、
「自己否定が強い自分を変えて、
幸せになりたい!」
と思ったとする。
この時に、
「変わる」という結果に執着すると、
自己否定が強い自分を変えるために、
・自分に優しい言葉をかける
・リラックスタイムを持つ
・アファメーションを言う…
などと、変わるために
「あれもこれもしないといけない」
ということになって。
結局、
あれもこれもルールを守れず、
「何もできないダメな奴」
と自己否定がさらに強まって、
「自己否定が強い自分を変えて、
幸せになりたい!」
と真逆の方向へ進む結果へ…
自分は一生幸せになれないんじゃないか、
そんな絶望すら感じかねない負のループ。
変わろうとするほど変われない苦しさ、
一体どうやって乗り越えたらいいのでしょうか。
本当の意味で幸せになりたければ
本当の意味で幸せになりたければ、
「変わること」「幸せになること」を
やめる必要があります。
自分自身が変わることも、
幸せになることも、
結果的に自然とそうなるもの。
そうなろうとしているうちは、
手に入ることはありません。
結果を手放す。
結果を手放すってどうするかって、
道のりを味わい尽くす、ただそれだけ。
私たちの「今」は、
自分の奥底にある意識が反映しているもの。
つまり、
この意識が変わらないと「今」は変わらない。
「今」を小手先で変えようともがいても、
ルールを破らないように縛りつける
ことくらいしかできないのです。
意識が変わるために必要なことは、
「理解する」こと。
日々、行動して観察していくことで、
実感として「なるほどね!」と腑に落ちた時、
意識が変わって、
自然と結果的に「今」が変わるのです。
「行動して観察していく」、
これが先ほど書いた結果を手放す方法、
道のりを味わい尽くしている状態。
どうなるかの結果じゃなくて、
今何を感じているのか。
そこにフォーカスできた時、
人はその行動から「理解」することができ、
根底にある意識から変わっていける。
ここがものすごく大切。
さっきの例でいえば、
自己否定する自分を
何度も何度も観察していく。
観察を重ねることで、
「なぜ自己否定し続けるのか?」
その理由が紐解けた時、
「なるほどね!」と理解が入る。
理解が入ると共に、
「自己否定したがる意識」が解消され、
自己否定する「今」が変わっていく、
ということ。
何かを変えようとせず、
シンプルに、今に耳を傾ける。
本当はそれだけでいいのですね。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
また、お会いしましょう!
結局、
自分が今まで偏っていたのと、
反対の性質に偏るだけになってしまいます。
私たちの意識のベースであるエゴは、
取り込む性質があります。
とにかく陰陽どちらかに偏って、
取り込んでしがみついていたい、
それがエゴの働きです。
私たちは比較によってしか、
自分を把握することができないので、
どこかにしがみついていないと、
倒れそうで恐いんです。
寄りかかっている、
そのつっかえ棒を外したら、
転びそうで恐い。
だけど、
全ての偏りを手放さないと、
本当の自由、自己受容、
自分の中心のバランスで生きること、
には行き着きません。