やさしくしたいのに、そっけなくしてしまうワケ

人間関係の紐解き

こんにちは、さやかです。



「思いやりを持って接したい」
「どんな時もやさしくありたい」

これって誰しもに少なからずある
感覚なのではないかと思います。



でも実際は誰かを目の前にすると…
イライラしたりモヤモヤしたり
素直になれなかったり。



「相手を思いやりたいのに
なかなかそうできない」というのは、
どういう状態なのでしょうか。



相手を思いやれていないとき、
それは自分自身を思いやれていない
ということになります。



相手に対する態度は、
自分に対する態度そのもの




では、
「自分自身を思いやれていない」、
とはどういうことか?



それは、
自分自身を愛せていない
ということ。



自分自身を愛せていないとは、

自分のことを
・信じ切れていない
・受け入れられていない
・許すことができていない
・やさしく扱えていない

といった状態です。



つまりは、
自分のことを疑って、
否定して、抑圧している状態。



それってつまりどういう状態なのか?



これらの状態に共通することとは、
何でしょうか?



……



それは、
本心からの声を聞いていない
ということです。



本心からの声が聞こえていないか、
聞こえないフリをしているか。



自分の外側の声に
惑わされてしまっているのです。



本心からの声を妨げるのが、
「私」というエゴの意識。



「私」意識は、
外の要素と同一化して執着して、
「私」を確立するために
外の要素に囚われていく意識です。



この囚われた「私」意識の声に
引っ張られて生きている状態は、

簡単に言うと、
自分をべき/ねばで縛っている状態



だからこそ、
相手も自分のべき/ねばで縛ろうとして、
相手が自分のべき/ねばに当てはまらないと
イライラモヤモヤしてきて。



ただただ目の前の相手を
信じて、受け入れて、許して、
やさしく、愛したいのに、

ジャッジをするから思いやれずに
苦しくなるのです。



相手を思いやれないとは
自分を思いやれていないことで、

自分を思いやれていないとは、
本心の声を聞けていないこと




囚われた「私」意識の声に
惑わされずに本心を聞くには、

自分が握りしめている外側の声(べき/ねば)を
手放していくことが大切です。



外側の声を手放すこと
それはつまり、
ジャッジメントの意識を手放すこと。



そうして、
「私が」「私が」「私が」
がしずかになっていくと、

自然と自分も相手も愛せるようになり、
思いやれるように
なります。




自分自身を愛せていないというと、

やりたいことがやれていないとか、
自分にお金を使えないとか、
自分の気持ちに蓋をしているとか、

細かなことが手前で出てくるかもしれません。



そうしたことを
「やらせてあげる」ということも、
偏ったべき/ねばをゆるめるためには有効。



でも最終的に
自分や相手を大切にするとは、

「私」が握りしめるジャッジメントを手放して
裁かずにいられるようになること
これに尽きるのです。



相手を思いやれずに苦しいときは、
自分の中にあるジャッジの意識について
ぜひ深ぼってみてください。



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今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。



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ジャッジがゆるむことで、
全ての経験が理解となりますように。

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