こんにちは、さやかです。
腰の痛みと向き合って来た中で、
ニュートラルについて
探究が深まってきました。
「いい姿勢」
6年前に下の子を産んでから、
どうも腰が痛くなりやすくなって、
その時通った整体の先生に
「姿勢が悪いから」
と姿勢を指摘されたことがありました。
それを機に、
その先生に言われた「いい姿勢」を
めちゃくちゃ意識して過ごすように。
結果、
腰の違う場所が痛むように
なってしまいました…
でもそこで、
「いい姿勢」を疑うことはなく、
ベッドが悪いのでは?とか
冷えが悪いのでは?とか
他のことに要因を探していました。
でも、
ここ最近ヨガを深め、
解剖学を深める中で分かるのは、
誰しもに共通する「いい姿勢」
なんてないってこと。
本来の真ん中にいる状態
=ニュートラルポジションですが、
これに近づくヒントとなる言葉は
色々とあります。
でも、
実際は身体の奥深くの筋肉で、
前のめり過ぎず、後ろめり過ぎず、
その真ん中を探求する必要がある。
それをせずに外側からの感覚、
外側からの見た目を真似しただけで
いい姿勢を保とうとするとどうしても、
前か後ろかに偏りが出てしまいがちです。
まさにそれが、
整体の先生に言われた「いい姿勢」で
私が腰の違う部分を痛めていた要因でした。
正しさを手放す
自分が一度握りしめた正しさって、
なかなか手放せないもんだなぁ
と実感しています。
腰痛の要因となった
「いい姿勢」を手放すのも、
なかなか勇気のいることでした。
だって、
その姿勢こそが正しいと
長年信じて握りしめてきたから。
私たちはどうしても、
「正しく生きたい」
「正しさを持っていると安心」
と正解を求める心に翻弄されがちです。
でも、
腰のことからも分かるように、
相対的な視点で見た時に
何事にも絶対的な正解はない
ということ。
ニュートラル、中庸、
そこにある本質を理解するとは、
感覚的なものなのです。
自分自身で
陰と陽の両方を深く探求していく中で、
真ん中というバランスが
感覚的に分かってくる。
言葉では表現はできるけれども
自分自身で体感する必要がある、
ということです。
おわりに
心にしても身体にしても、
ニュートラルとは
そこで固めるものではない、
という意識がとても大切です。
前のめり後ろのめりなど、
陰陽を知っていく中で
炙り出されていくのが真ん中の感覚で、
何か最初から正解があって、
そこに自分をハメるものではないのです。
自分が真ん中だと信じ込んでいる
正しさにがんじがらめになるのではなく、
陰も陽も感じることを受け入れて、
真ん中の探究を楽しむこと。
そうしていく中で、
自分にとってのベストポジション、
ニュートラルポジションが
意識でも心でも身体でも
分かってくるのだと思います。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
正しさを求める心がゆるみますように。