視座が上がると楽になる

人生を見つめる

こんにちは、さやかです。


今回は、
ヨガ哲学を通して学んだ、
新しい視点についてお話したいと思います。


ヨガ哲学勉強会

先日、スダルシャナヨガ
オンライン勉強会がありました。


今はzoomで
日本の講座やセッションが、
いつでも受けられるのでとても重宝。


その中で最も印象的だったのが、
“ありのままの自分を壊すのがヨガ”
という話。


ここ最近の私は、
自分を縛りつけてきた
価値観を緩めながら、

ありのままの自分に気づき、
許し、受け入れていくことを
繰り返していました。


なんとなく
ありのままの自分が
分かってきたような中での、

”ありのままをも壊す=手放していく”
という学び。


聞いた瞬間は
少しショックもありましたが、
この言葉をきっかけに
また一つ理解が深まりました。


陰陽統合の意識

ありのままについて考察していくと、

”世界観を決める
⇔全てのことに執着しない”


が腑に落ちてきました。


それは、
自分軸をクリアにすることと、
その自分軸を手放すという、

一度は真反対に感じられた2つが、
繋がって統合されていく感覚。


この考え方を
陰陽統合というそうです。


自分が自分であるという
幻想を手放しながらも、

心地よさも思考も好きや得意も
全て幻想と分かった上で、
世界観や自分軸を定めていく。


でも
幻想だからとどうでもいいとならず、
自分を探ったり、
言語化していくことを楽しむ。


それが人生と捉えてみる。




以前も記事に書きましたが、
禅僧・南直哉さんの本に書いてあった、

”人生のそれ自体には
確かな意味がないのだから
わからなくていい”という考え方。


そしてヨガ哲学での
自分が自分である(自我)、
という幻想を手放すという考え方。


色々と繋がっていくような感覚です。


視座が上がるとは
=木でなく森を見るということ。


枝葉を気にし過ぎないで
森を見ることが大切ですね。


おわりに

ヨガ哲学の自我を手放す、
という考え方。


頭では分かっても、
実践はなかなか難しい。


腑に落ちるまでには
学びと実践の積み重ねが必要です。


自分の成し遂げたこと=自分、
それはあくまで自分が生み出した幻想。


そう考えてみると、
結果が手放せるようになる、
比較も手放せるようになる。


それによって何かに依存したり、
持っているモノでは測れない幸せを
感じられるようになるのだろうと思います。


視座が上がるととても
楽になっていく感覚があります。


何でもいい。どっちでもいい。
(投げやりな意味でなく、自信溢れる意味で)



学びと実践を積み重ね、
視座を少しずつ上げながら
螺旋階段を上っていくような成長を
楽しめたらと思います。


+++++
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。
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