人は応援し合える、と思えますか?

比較やイライラが苦しいとき

こんにちは、さやかです。



このところ、
なんとなく色んな場で
「人と話す」機会が増えています。



人と話すことで、
見えることってたくさんある。



話を聞いてもらったり、
その中で相手の話を聞いたり。



今回はそんな中でたどり着いた、
「どっちの自分もいていい」
という感覚についてお届けします。


人類全員ライバル

過去生ってあるんだろうか?
でも書きましたが、

私の心の奥深くには、
世の中への強い憎悪だったり、
人類全員ライバルという意識がある、
ということに気づいたこと。



この強い負けず嫌いの意識。



前世から持ち越したろう想いも混ざって、
なかなか強い執着を感じていて、
どう向き合っていったらいいのか、
とぐるぐるしていました。



本当は一体どうしたいんだろう?



自分に問いかけてみると、
人類全員ライバルであり、
周りはみんな敵と感じてるけど、
本当は仲間と思いたい」という声。



実はちょっと前から、
子どもの映画などを見ていて、

仲間を助けるシーンだとか、
誰かと協力し合ってやっつけるシーンとか、
ウルウルせずにはいられない私がいます。
(アンパンマンとかでも…笑)



きっと心のどこかにはずっと、

 人を仲間と想いたい気持ち
 人と戦わずにいたい気持ち

があるってことなんだと思います。



本当は、
人類全員仲間だと思いたい。



どうしたら、
人類全員ライバルと感じてしまう心
→人類全員仲間へシフトできるのか、
ここですね。



応援し合うことができない

人類全員ライバル
という意識を紐解いていくと、
「応援し合うことができない」
自分に気づきます。



自分が人を応援したいと思えないから、
人が自分を応援したいと思うはずがない、
と思っている。



だから、
応援し合うなんて夢物語だし、
応援してほしいとも言えない。



この根底には、

・誰しもが注目されて中心でいたいし、
前に出て目立ちたいはず

・そんな中で心から
応援し合うなんてあり得ない

・横一列で競っているんだから、
応援なんかよりいかに出し抜くかを
みんな考えているに決まっている

という思考があります。



価値観フィルターとしては、

 人は全員ライバル人
 人との関わりは戦闘
 私は応援されない人
 私は否定される人
 人を応援することは負けを認めること
 負けることは存在の危機
 社会に分かりやすい形で結果を出さなければならない
 リーダー的存在、目立つ役割がすごい

この辺り。



ここが解消されて、
「応援し合える」と思えたら
人類全員ライバルもゆるみそうです。



どんな役割も素敵

そんな時ある人に、

「世の中にって目立つ役割の人もいれば、
あなたがいたお陰で今がある、
と言われる裏の支え役になる人もいて、
どちらも素敵だよね

という言葉をもらいました。



確かに、どんな場も、
引っ張る人がいて、支える人がいて、
参加する人や様々な立場の人がいて成り立つ。



リーダーだけが偉い訳ではないし、
目立つ人だけが偉い訳でもなくて、
全てのモノゴトは
さまざまな役割があって成り立つのです。



そして自分の中にも、
色々な役割が混在している
ようにも感じました。



ガツっと引っ張るリーダー的な自分や
じわじわと支える自分。



この両方あっていい
し、
両方とも大切なんだと思え、
陰陽に偏りがちだった思考が、
バランスされたように感じました。



話は少し飛ぶのですが、
年末に引いたおみくじで、

 縁の下の力持ちを理解すると、
 モノゴトが進む

と書いてあました。



「リーダーにこそ価値がある」
に偏っていた私にとって、

支える側を理解することで
中心軸に近づくことができる、
というメッセージだと感じました。


それぞれの場で咲けばいい

それぞれの場で花咲けばいい
という言葉をもらいました。



人は皆違うのだから、
1人として同じ場では咲けない。



だから常に競争しなくても、
それぞれの場で咲いていけば、
ぶつかる必要もなく
それぞれ思い切り花を咲かせられる。



人の場にお邪魔することもあっていいし、
その場によって役割を変えながら
フレキシブルに楽しんだらいいんだと
思える様になりました。



どんな役割も大切なピースを担っていて、
人は応援し合えるということ。



少しずつ、
理解を深めていきたいと思います。



おわりに

バランスというのは
なかなか難しい感覚です。



強い執着を緩めるために、
どうしてもいったん反対の価値観に
振り切らなければならない場合もある。



執着している価値観を弱めるために、
その反対側の価値観に引っ張ってもらう
必要があるのです。



でも、
ある程度反対側の力もついてきたら、
もともとの価値観の存在も認めて、
陰陽両方を自分の中に見出すこと



陰と陽の両方の
価値観の存在に気づいた上で、
心地よいバランスを模索することです。



どんな自分も自分であり、
どんな自分も自分ではない、
この理解が深い自己受容につながります。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!

今日も素敵な1日をお過ごし下さい。

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