こんにちは、さやかです。
いよいよ昨日から、
子どもたちの新学期がスタート。
一時帰国はいい時間になったものの、
今回もやっぱり長かった〜。
朝からの準備はありますが、
やはり自分に集中できる時間が
取れることはありがたいです。
自らの気づきを子育てに
さて、
最近子育てについて考えていること。
私自身、
小さい頃から母に比較され、
勝ち負けの世界で生きてきたので、
強い自己否定感がありました。
だからこそ、
とても生きづらかった。
その生きづらさと向き合っていく中で、
「勝つことで安心してここにいられる」
「より多く成功する=幸せな人生」
といったような根深い価値観が、
炙り出されてきました。
比較をすることに囚われて、
勝つことに囚われて、
人の評価に囚われてきたから、
生きづらかったんだ。
そう気づいて、
その囚われを解放していくと、
生きづらさや不足感が
どんどん解消されていきました。
その経験から私は、
「生まれてから親の想いでジャッジされて、
そのままの私を否定されてきたから、
自分が自分でいていいと思えず、
不足感に悩まされる人生になったんだ」
そう思うようになりました。
だから、
子どもには自分を受容して
生きられるようになってほしいと、
自己愛を育む子育てを実践。
「生まれてきてくれてありがとう」
「大好きだよ、信じてるよ」
そうした言葉がけはもちろん、
「その子らしさ」を尊重して
他人と比較せずにその子のペースを重んじる、
そんな風に心がけて接してきました。
大切なのは中心を探ってあげること
この心がけによって、
子ども達が安心感を感じたり、
自分がここにいていいと思えたり、
大丈夫だと思えるようになった、
という事実はもちろんあります。
でも、ここ最近になって、
気になることが出てきました。
「自分はそのままでいいんだから」
「これが自分なんだから仕方ない」
と言ったような、
傲慢な言葉を聞くようになったこと。
自己受容とは、
「どんな自分も受け入れること」
とは言いますが、
「それはどんな傲慢な自分でもOK」
ということとは違います。
自己受容の真意は、
どんな自分も自分でないと知ること。
自分が自分だと思っている要素は
全て架空のものだと知り、
それらを無くした中心にある真実
=存在自体を受け入れること、
それが自己受容です。
>「私は私でいいんだから」
>「これが私なんだから仕方ない」
これらの言葉から分かるのは、
私が比較をしないことに囚われるあまり
子ども達のエゴが暴走してしまった、
ということ。
エゴは暴走させるのではなく、
コントロールして上手く扱えるように
ならなくてはいけません。
親が伝えるべきはまず、
「存在というものは
そのままで完全で完璧であり、
何一つ欠けたものはない。
あなたの存在はすばらしくて、
ここにいてくれるだけで感謝」
ということ。
そしてそれに加え、
エゴを理解し扱えるようになる方法を
伝える必要があるということです。
ここで大切なのは、
その子の特性とその時点でのエゴの出方を
よーくみてあげること。
思考やクセが中心からどう偏っているか、
それを見極めて中心に戻れるように
サポートしてあげることです。
それには、
時に比較や否定することも必要だし、
褒めたり安心させることが必要な時もある。
どんな接し方が正解なんてなくて、
目の前にいる子どもを見て、
今必要なことを見極めていくことが大切、
そんなことが分かってきました。
特に子どもが日々変化し続ける中で、
どこかに定点を置いて導こうとすると、
仕向けた方に偏ってしまう傾向がある。
大事なのは正解ではなくて、
「今ここ」なのですね。
おわりに
「そのままを認めてあげること
=相手のエゴを認めてあげること」
ではない。
ここが腑に落ちて、
自己受容という言葉の理解が
また深まりました。
自分の経験に囚われてしまうと、
それがまた新しい価値観を生み、
結局は二元のこの世界に囚われてしまいます。
自分の経験を通して、
中心を見極める練習につなげていく。
ジャッジをせずに、
ただ観察すること、です。
中心だと思っているその視点は、
本当に偏っていないのか?
自分に問いかけ続けながら、
中心を探求し続けていきたいところです。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。