こんにちは、さやかです。
夏休みに大変だったことと言えば、
子ども達の毎日のケンカ。
我が家は歳が近いこともあって、
もともとケンカが多いのですが、
夏休みはそれを朝から晩まで繰り返すので、
疲れる疲れる…
気にしないようにしようしよう、
としてもやっぱり気になります笑
子どもはケンカするものと言いますが、
母がどのくらい気になるかは人それぞれ。
つまりはこの状況が苦しい、
というのは自分の中に何かあるから、
ということになります。
私の中の何に要因があるのか。
友人にもアドバイスをもらいつつ、
心の内を観察していくと、
その要因が見えてきました。
他人の問題は他人の問題
ケンカする子ども達を前に
心ブラされてイライラしてしまう要因。
それは、
「ケンカするのは仕方がない」
とは頭では分かっていても、
「ケンカをしてはいけない」という
強い思い込みがあったからでした。
そんな当たり前の様なこと笑
と思われるかもしれませんが、
自分が元々持っている価値観
(ケンカをしてはいけない)と、
自分が持とうと試みている価値観
(ケンカするのは仕方がない)の
せめぎ合いって自分では
気づきにくかったりしますよね。
その強い思い込みせいで、
ケンカという状況を見せられると、
自分が責められているように感じたり、
ケンカを無くさせようとしても無くならない
思い通りにならない状況にイライラしたり、
ということに繋がっていたようです。
そう気づけると、
「ケンカが多くても、
それも子ども達に必要あって訪れてる経験だし、
子ども達が何かを学び切るか、
ケンカに飽きたら自然となくなるんだろうな。
私が責任を感じたり、
どうにかしようと心ブラされても仕方ない」
そんな風に吹っ切れました。
そうすると、
子ども達のケンカを目の前にしても、
心が必要以上にブラされることなく、
たんたんと見守れるようになりました。
まぁうるさいなぁ、
とは思いますが笑
一定の態度で接すること
もう一つ気づいたこと。
それは、
子ども達がケンカをすると
手を止めて話聞くのに、
普段の話だと後回しにしがち、
ということ。
そのことで子ども達が、
「ケンカをするとみてもらえる」
と無意識に思い込んでいる可能性も
否定できないなと思いました。
ここから何に気づけるか。
こうした一定ではない自分の態度、
自分のジャッジによって対応を変える態度は、
ソウルからではなくエゴの対応だ、
ということ。
自分のジャッジでモノゴトを見て、
それに囚われて行動している、
ということです。
何時も目の前のことを受け入れ、
子ども達とまっすぐ接する姿勢が、
子ども達のケンカを本質から
解決してくれるかもしれないなぁ、
と思いました。
おわりに
これまでも、
子ども達のケンカについては
色々と考察してきたのですが、
ケンカの観察が進まなかった要因。
それは、
「ケンカは良くない」という
囚われた視点が入った上で、
「ケンカ」を見つめていたからでした。
できる限りフラットな状態で
目の前のできごとを観察する意識、
これがとても大切だなと思います。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。