「相手は自分の写し鏡」なワケ

人間関係

こんにちは、さやかです。



私の心のクセなのですが、
旦那と会話をしていてどうしても
「否定されるように感じる」ことがあります。



この心のクセ、
色々と観察してきた中で
感じることや気づきがあったので、
整理してみることに。



「相手は自分の意識の写し鏡」
という言葉の意味について
考察が深まる機会となりました。


自分が自分を否定しているから

相手に否定されるように感じる、
そんな時あなたならどう考えますか?



以前の私なら間違いなく、
「どうしてそんなひどいこと言うの!」
「どうして否定してくるの!」
と相手を責めていました。



でも心の学びを重ねる中で、
「そう感じる」のは自分のフィルターのせい、
と言うことが分かり、
常に自分の中に要因を探すクセ
がつくようになりました。



でもこれは本当にそうで、
「自分で自分のことをどう見ているか」
によって、
「相手にどう見られるように感じるか」
が決まってくる
のです。



つまり、
自分で自分のことを否定している時って
常に自分をジャッジして評価している状態なので、
相手からの評価の言葉に対して注意が向きやすく
すごく敏感になってしまうということ。



例えば、
「これってどう思う?」
と自分から聞いたのにも関わらず、
「そうだなー、自分ならこうするかな」
などと相手が自分と違う意見を言うと、
=相手は自分のことを否定した
と捉えてしまうことになるのです。



この場合、
相手は聞かれたから
自分の意見を言ったまでなので
否定しようという意識はゼロ。



となると、
「否定された」と捉えてしまうのは、
明らかに自分の意識フィルターの問題
ということが分かります。




例えば私自身についても、
もともと「評価」への囚われが強くて、
日々向き合ってはいるのですが
評価を恐れる心が顔を出してくると、

どうかまた失敗する
どうせまた上手く行くはずない
どんなに努力したって結果は同じだよ
ほらまた不器用なことしてる
だからダメなんだよ、うまくいくはずない

…….みたいな声が脳内に響き渡ります。



そんな状態で旦那と会話をすると、
旦那の評価的と感じるような言葉に
とても敏感になってイラモヤが引き起こる。



旦那はいつもと変わらず、
感じたことを伝えてくれているだけ、
なのですが。



全ての要因は自分の中にある、
相手は自分の映し鏡である




本当にその通りだなと実感します。



主体的に生きる

このように、
自分の中に全ての要因を見出すこと。



最初はなかなか認めることができず、
相手や環境のせいにした方が楽だ、
と感じるかもしれません。



でも、
自分の中に要因を見出した方が、
シンプルで生きやすいのです。



なぜなら、
自分で人生の舵を握ることができるから。



周りや環境のせいにしている時、
それは一見楽に見えるかもしれないけど、
自分の人生や幸せは自分以外に委ねられていて、
なんとなく不幸せな感が続くことになります。



自分と正面から向き合う覚悟を決めて
自分の中に全ての要因を見出す時、
人生の舵を自分で握ることができて
主体的に生きられるようになる




それはとても自由な感覚です。



旦那との会話で否定されたように感じる時も、
相手にイラモヤをぶつけたら話はこじれます。



でも、
自分の中の「自分を否定している自分」
という要因に気づければ、
相手を責めることなく、
自分が「自分を否定している自分」
と向き合うまで。



その方が人間関係もスムーズになり、
無駄なケンカに労力を使わず
向き合うべきことに集中できて
お互いハッピーだなと感じます。


おわりに

自分で自分を否定するクセ。



これはつまり、
モノゴトをジャッジするクセであり、
自分自身をジャッジするクセです。



でもね、
きっとこの二元の世界に生きている以上、
ジャッジはしちゃうものなんだと思います。



瞬間的なジャッジはするけれども、
そこに囚われない意識をどれだけ育めるか、
ポイントはそっち。



ジャッジをする自分を観察する意識です。



たまにはこんな風に、
「ジャッジに囚われて同一化してしまう自分」
を観察することも楽しみながら、
客観的・視座の高い意識を
コツコツと磨いていきたいなと思います。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

人生に主体的にあれますように。

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