「見返してやりたい」が書き換わった日

感情解放マインドセット法

こんにちは、さやかです。



私の中でなかなか手放せなかった過去、
その過去が書き換わりました。


「見返してやりたい」想い

私が大手商社の海外営業を3年目で辞めて、
シンガーソングライターに転身した時に、
ある人が言いました。



「そんな勝率が少ないことに人生賭けるなんて、
自分だったらやらないな」



当時の私も、
歌で食べていくという視点でいましたし、

「勝率が少なくても自分の心に従って
絶対に成功を勝ち取ってみせるんだ!」

そう反論して会社を辞めました。



でも、
このことを改めて振り返ってみて、
自分の捉え方が間違っていた、
そう感じました。



私が会社を離れて次へ向かった理由、
それはそこですべきことはやりきった、
ただ感じたからなんじゃないか。



別に成功するためとかではなくて、
ただ一つの経験をやり終えて、
次の経験に踏み出すタイミングだと直感的に
感じたからこその決断だったのではないか。



好きを仕事にする!とか
自分の力で食っていく!とか
使命を全うするんだ!とか
さんざんそうした理由を盾にして
自分の本気をアピールしてきたけど。



むしろ、
直感でそう動くしかなかった
その一点だったんじゃないか。



そう考えると、
ただただ直感に従う時に、
そこに他者目線に対応するための
それ以上の理由づけは必要なかった
と分かってきます。



私の中でなかなか解消できなかった、
会社を辞める時に握りしめた
絶対に成功して見返してやる
という気持ち。



自分が自分の直感を信じられないあまりに、
誰かが納得するための理由づけをして
それに自ら囚われて長い間苦しんできた、
全ては自作自演だったと気づきました。



本当は、
シンプルに自分の本心に従っただけだった。



「見返してやりたい」という
苦い過去とひたすらに向き合ってきて、

成功するために生きているんじゃない

そのことが腑に落ちてきました。



成功するために生きているんじゃなくて、
必要だと感じる経験の方へ進んで、
その経験を通して学びを重ねていけば
目的地はどう変化したって構わない。



本当にその通りだなと思います。



直感を確信する

今、あの時と同じ様な
「やりきった感」があります。



もう今の環境でやれることはやりきった、
もうこれ以上ここで学ぶことはない、
といった様な感覚。



でも、
私が次のステップに行こうとすると、
そんなことは現実的じゃないとか、
逃げだとか色んな声が聞こえてきます。



今回感じることは、
自分の直感に確信を持とう
周りの声にいちいち反応するのは
もうやめようということ。



成功することが人生の目的じゃないし、
学ぶための経験という視点で見て流れに委ねる。



そこでの学びが終わったと感じたなら、
人が納得する真っ当な理由がなくても
次のステップに行ったらいいのです。



そこへの納得感を感じられるのは、
結局自分しかいないから。



他人軸と自分軸と中心軸と、
本当にこの中心軸を感じられる
直感力の大切さを感じています。



おわりに

目の前の現象は全て
自分の意識の投影と言いますが、

結局苦しみというのは
自らが囚われているからこそ生まれる、
ということもよく分かりました。



あの時のあの人のあの言葉を
どういう視点で自分が捉えたのか、
そこにどんな感情が伴って
どんな囚われを生んだのか。



それによって、
同じ言葉でも今の苦しみにも
助けにもなるということです。



だから、
「あの人のせいで」
という論点は成り立たなくて、
「自分がそう囚われたから」、
でしかない。



どんな言葉も助けとして受け取れる、
そんなマインドを磨いていきたいですね。



今日も最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました。

直感に確信を持って進んでいけますように。

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