存在するだけですでに十分と思えるために

自己受容したいとき

こんにちは、さやかです。



役に立たないと存在価値がない。



これは、結構長い間、
私が向き合ってきているテーマです。



自分自身の価値観を洗い出して、
自分を縛りつけていた部分が緩んでも、
役に立たないと存在価値がない」、
という囚われはしぶとく残りました。



この部分って結構、
多くの人が苦しんでいると感じるのですが、
思い当たることはありませんか?


「仕事で成功していないと価値がない」を手放す


この世界で役に立っている状態とは、
もともと私にとってどういう状態だったか。



それは、仕事で成功していること。



私にとって仕事で成功しているとは、
どんな状態か。



それは、
自分のビジネスを確立して、
プロとして収入を確立している状態。



これが一般論がどうかは置いておいて、
私にとって社会の役に立っていて
存在価値があると思えるのは、
そうした状態でした。



でも役に立ちたい、と思うほど、
承認欲求が強く前に出てきてしまって、
モノゴトが上手く進まず。



そんな中である日、
役に立つことや存在価値の定義が
ガラッと変わることがありました。



生かされている、
ということを感じていく中で、

「社会の役に立てて存在価値がある
=仕事で成功している」ではない!

ということの理解が進みました。



それまで、
「人の存在価値
=仕事で社会の役に立ち、成功していること」
と思い込んでいたのですが、

「人の存在価値
=人生を今生きていること自体そのもの(今ここにいて人生の学びを深めていること自体)」
と実感できるようになった。



ここに生かされ、愛し愛され、
エネルギーの循環の中にいること




それが言い換えたら役に立っていること、
存在意義。



それと仕事はまた別のことなんだな、と。



 生かされていること、
それだけで十分なんだと分かることで、
「役に立ちたたないと存在価値がない」
を一つゆるめられた経験となりました。



「教える側にならないと価値がない」を手放す

もう一つ、
「役に立たないと存在価値がない」
の偏りがゆるんだできごとがあります。



私の中での、
「役に立たないと存在価値がない」
を生み出していたもう一つの縛り、
「教える側にならないと価値がない」
ということ。



ここと向き合う中で、
例え自分が伝える側でなくて
受け取る側だったとしても、
それだけで十分に役割を果たしている、
そのことが理解できるようになりました。



例えば、
講座を例にとって考えてみると、
受講する側がいなければ講座は成り立たなくて、
受講生がいることで教える側が成立します。



受講生がいてくれるから、
先生は「教える」という経験ができて、
教えることを通してその先生は成長でき、
そうするとその先生はまた違った範囲へ
エネルギーを注げる様になっていく。



これは全て受け手がいることから始まって、
そう考えるとそれぞれの成長は
お互いによって助けられていくモノ。



こう考えていくと、
教える側・学ぶ側どちらが偉いとかはなくて、
こうしてエネルギーが巡っていくことこそが
この世界として大切なことだと分かります。



その中のどの役割を担おうが、
大切な役割を担っていることに変わりはなくて、
ずっと学ぶ側だからと追い目を感じる必要も
ないということ。



そんな気づきを通して、
「教える側にならないと価値がない」、
という意識がゆるんでいきました。



「役に立たないと価値がない」の裏には
この様に人によってさまざまな
細かい囚われがあります。



そこを丁寧に紐解いて、
一つずつ皮むきをしていくことが
大切だと感じています。


おわりに

自分を役に立つかどうかで判断しているって、
世の中全ての人を役に立つかどうかで
ジャッジしているということで、
それってかなり横柄なことだなと思います。



色んな人がいて、
色んな役割を持って生まれてきている中で、
”役に立っている”という、
一般的な価値観でジャッジしていくって、
やっぱりちょっと違いますよね。



存在価値を感じたい気持ちは
きっと誰もがもっていることだけど、
人生の軸を自分の外に置かずに
自分の中に軸をおけるようになること

ここが大事だなと思います。



それはつまり、
役に立っているかいないかという
二元的な枠組みから抜け出していくこと



そのことで、
自分や周りをジャッジするのをやめて、
存在自体をまるっと認められるようになること



一歩ずつ深めていきたいですね。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

中心軸で歩んでいけますように。

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