自己受容に必要な2つのアプローチ

自己受容したいとき

こんにちは、さやかです~


夏からの流産に骨折にと、
立て続けに続いている中で、
色々と気づきを探求しています。


全ては最善であり、
学ぶべき何かがあるから、
私の前に現象として起こる。


ただ、
どこかで何か私が足りないから、
こうして強いメッセージが来ている、
と捉えてしまう自分もいます。


でも、そうして、
不足感に目を向けてしまうと、

「かわいそうな私」
「不運な私」
「どうして私が」

とエゴが前面に出てきてしまう。


不足感に目を向けることは、
エゴを強めてしまうだけ
なので、

「痛い、辛い、悔しい」
といった感情を、
感じ切っては手放すを意識しつつ、

何を学ぶかにフォーカスする様にして
過ごすようにしています。


さて、
自己受容自体が中庸の意識だという
気づきを先日書きました。


その上で、
自己受容までの道のりにおける、
大切な2つの要素について、
今回はお届けしたいと思います。

2つの大切な要素

自己受容に至るまでの道のりで、
大切な2つの要素。


1つ目の要素は、
自己否定を手放すこと


2つ目は、
自分を信じると決めること


自己受容とは、
良い自分も悪い自分も、
どんな自分も丸ごと許す
という意味です。


つまり、
できる私にもできない私にも
偏らない中庸、
バランスが取れた状態です。


そこへの道のりに必要なことで、
私も強く実感しているのが、
まず自己否定を手放すこと。


そしてそれに加えて、
自分を信じるとただ決めること
の必要性感じ始めています。


まずは、
自己否定を手放すことについて、
詳しく書いていきたいと思います。

自己否定を手放すこと

自己否定を手放していくステップとして、
心の雑音を手放す意識がとても重要です。


私自身も、
心の雑音である他人軸や常識、
自分が握りしめている価値観を、
手放すことで自己否定が激減しました。


方法としては、
自分の感情が動いた時に、
その裏にある価値観を洗い出し、

その価値観が生まれた背景を
過去を見つめてクリアにする作業を
繰り返すこと。


そのことで、
心が癒され、過去が書き換わり、
しがみついてきた価値観を
手放すことができてきました。


ただ、
緩めても緩めても、
なかなか自己受容に至らない、
それが悩みでした。


自分を縛り付けていた大きな価値観を
ある程度手放すことができても、
モノの見方・考え方がかなり変わっても、
なかなか自己受容に至らない。


まだ分析しきれていない
何かがあるからだ…


私はずっとそう思って、
過去の傷を分析し続けて、
自分の中の要因を探し続けました。


でも、分かり切らない。


そうしてもがいていく中で、
分析に執着していた自分に気づきました。


「全てのことがキレイに
説明できる訳ではないのかもしれない」



もちろん、
自分を縛り付けている
価値観を手放すために、
「分析」というプロセスは必要です。


でも、


全てをキレイに理由づけしたり、
分析”し切った”から、
自己受容に至るわけではない

そう考える様になりました。


生まれてから私たちの身には、
様々なことが起きているわけで、

どこでどんな意識やクセができたか、
分析できる部分もあれば、
分析では分かり切らない部分もあって当然。


実際、過去というのは、
自分たちの脳(記憶)が作り出している幻想。


そう考えると、言ってしまえば、
分析をして過去の傷と今の繋がりを
どれだけ明確化したとしても、
それは自分の納得感に過ぎない

のです。


だから、分析によって、
自己否定がある程度なくなったけど、
まだ残っている。


だからもっと、
傷を掘り下げないとならない!
ではなくて。


自己否定をゼロにするのが
自己受容なんじゃなくて、
自己否定を緩めながら、
自分を信じると決めること



この2つのアプローチで、
自己受容は成り立っていく、
今はこれがしっくり来ています。


長くなってきたので、
「自分を信じると決めること」
については、
また明日へ続きます。

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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