どうも、さやかです。
何か納得いかないことが起きた時。
あの人のせいでこうなった!
あの一言からこうなった!
あんな状況だったからだ!
あんな環境だったからだ!
と相手や周りのせいにしたくなって。
相手や周りを責めてしまって、
あとから反省したり。
相手や周りのせいにしても
結局何も変わらないことに気づいたり。
でも、
ふとするとまた
周りのせいにしたくなったりして。
その理由の一つに、
「自分を守るため」
というものがあります。
自分自身の中に、
「こうしてはいけない」
「こうあるべきではない」
「こうでなくちゃダメ」
という厳しいルールがあって。
それを破ってしまった時に、
自分で自分を責めるのが苦しくて、
その原因を外におしつけたくなる。
例えば、
イライラしてはいけないというルールがあって、
相手に何か言われてイライラした時。
怒ってしまった自分にがっかりして、
自分が自分で許せなくて、
相手のせいで!と言いたくなる、とか。
または、
損をしてはダメというルールがあって、
朝寝坊をして1日のスタートが遅れた時。
寝坊した自分が許せなくて、
昨晩ごはんに誘った友人のせいで!
と言いたくなったり。
自分で自分を責めるのが苦しいから、
周りのせいにすることを選んでしまう。
心当たり、ないでしょうか。
こうした時は、
視点を上げる意識がとても大切。
こうしちゃダメなんだ!
こうしなくちゃダメなんだ!
と現象に囚われている時って、
視野がとっても狭い状態。
そうすると例えば、
怒りが湧いたことや
寝坊したことに対して、
ジャッジして責め立てたくなる。
でもそうやって、
犯人探しをしても仕方なくて。
イライラするという経験をした
↓
↓
怒りとは何なのか?
どうして怒りが湧くのか?
本当は何に対して怒っているのか?
につなげるとか。
寝坊するという経験をした
↓
↓
良質な睡眠とは何なのか?
どうして朝早く起きたいのか?
人生における選択とは何なのか?
につなげるとか。
経験から理解しようとする姿勢、
これが大事。
経験を理解しようとすると、
視界が広がって
さまざまな問いが立ち上がります。
そうすると、
イヤだなと感じる経験だとしても、
そのことから山ほどの気づきを
受け取ることができる。
すると自然と、
そのことに対して「おかげさま」
という気持ちが芽生える。
イライラするという経験を通して
気づけたことで解放されたり、
寝坊するという経験を通して
理解できたことで自由になったり。
その経験をさせてくれた
相手や周りに感謝を感じられるようになる。
だからこそ、
経験を良い悪いで終わらせずに、
理解につなげること。
特にイヤだなと感じる経験ほど、
目を逸らして周りのせいにしたくなるから。
そこでぐっとこらえて、
現象に囚われている状態から目を覚まし、
視点を広く高くもっていく。
人生の試練は、
必ず人と魂を強くしてくれます。
視点の柔軟性、
育んでみて下さいね。
では、また!