マインドフルネスとジャッジメント

人生を見つめる

こんにちは、
テキサスからさやかです。


前回の記事に書いた、
『意識的に過ごす』こと。


意識して過ごすことで、
無意識に過ごしていることの多さに
気づくのではないでしょうか。


特に習慣化していることであればあるほど、
無意識に行っていて、
その1つ1つの詳細を感じられていない
場合がほとんどです。


食べることひとつとっても、
その食材の感触、
唇に当てたり口の中に入れた時の感触、
噛んだ時の食感や味の広がり、
口のなかの状況や何回噛んで、
いつ飲みこもうとするのかという意識など。


全く意識しないままに
なんとなく食べているということが、

ほとんどではないでしょうか。


5感を通して様々なことを感じているのに、
ちゃんとそれを認識していない。



1日の自分の行動を振り返ってみると、
“なんとなく“で
やり過ごしてしまっていることが、
とても多いことに気づきます。


無意識に行っていることを意識することは、
なかなかハードルが高いですが、
意識していくことで得れる情報は、
何十倍にも感じられます。


無意識を意識化することは、
とても重要なことです。



マインドフルであること。

そのことで気づける能力が磨かれ、
なんとなく過ぎていく毎日から、
本気で生き切る毎日へ変わっていきます。



さて、先日、
マインドフル・リスニングという瞑想を
経験する機会がありました。


私が人生の意味を模索する中で
たどり着いたマインドフルネス、
それと音楽の響きという組み合わせ。


とても平和な心地よい経験となりました。



今回は、
マインドフル・リスニングのシェアと共に、
ジャッジをしないことについて、
お届けしていきたいと思います。

マインドフル・リスニング

マインドフル・リスニングには、
ただ、そこにある音に集中していく方法と、
楽器(シンギングボウル等)の音を用いる方法と
2つあります。


私が受けたのは、
楽器の音を用いる方法。


やり方はとても簡単で、
まず楽器の音を聞くことだけに集中し、
音を聞くことへの集中力を高める。


その上で、
楽器の音が鳴りやんだ後も、
今ここにある音全てに
意識を傾けていくというものです。


これも食べることと同じで、
どれだけ聞こえてくる音に対して、
自分自身が無頓着だったかに気づきます。


目を閉じて音に集中していくと、
そこには多種多様な音が溢れています。


外から聞こえてくる音、
部屋の中にある音、
自分の中に響く音…。


私たちが意識していないだけで、
今この瞬間には
とてもたくさんの音が溢れています。


それをその音が好きか嫌いか、
いい音か悪い音かなどど判断するのではなく、
ただただ、気づいていく。


ただ音に気づき、
ジャッジをせずに意識を集中させます。


そのことで、
今ここを感じる感覚に意識が向き、
今ここを生きる感覚が研ぎ澄まされる。


それがマインドフル・リスニングです。

ジャッジをしないということ

人が苦しんだり
悩んだりすることの発端は、
ジャッジをすることからです。


私たちが生きているこの世界は、
常に陰と陽の両面がある世界です。


その中で人は、
良い悪い、好き嫌いと
様々に判断をしていきます。


こうしてジャッジをするということは、
どちらか一方に考え方が偏ることになり、
その一方に執着していくことに繋がり
人生のバランスを崩します。


そしてその執着は、
一度握りしめてしまうと
なかなか手放すことができません。


最初はこっちの方が好きとか、
こっちの方が嫌いという程度だったものが、
こうでなければならない、
あるべき姿からはみ出るモノは悪だ、
とだんだん強い囚われへと変わっていく。


そうするとますます
人生のバランスが崩れていき、
日々の苦しさや悩みが深くなります。



ちなみに、私がそうですが、
まじめな人は生き辛くなりがちです。


まじめ=完璧主義=いこじ=執着心が強い
=執着により自分ががんじがらめになって苦しい、
という構造 苦笑。


まじめだと、
きちっきちっと全てに
こうあるべきを当てはめて、

例外が許せなかったり、
とにかく白黒はっきりさせたいので、
どちらかに偏りがちになります。


そしてまじめだからこそ、
一度持った執着はしっかりと大事にして、
離すことができないという面もあります。


こうあるべきの世界をまじめに守るので、
その狭い世界から
なかなか抜け出せなかったりもしますね。



話は少しそれましたが、
ジャッジをしないを意識することで、
握りしめている執着が離れていく感覚を

少しずつ体験中です。


そうすると、
どちらでも大丈夫であり、
どちらも大切な要素なんだと、
思える様になる。


どちらかに偏りすぎていないか、
少し観察してみると、
日々の様々な悩みが
緩んでいくかもしれません。

ありのままを愛する

ジャッジをしないということは、
自己受容力にもつながります。


自己受容力。


最近、
ありのままの自分を受け入れる、
ありのままの自分を愛する
という言葉を良く聞きますが、
あなたはどのように感じていますか?


突然、ありのままを受け入れる、
と言われてもなかなか難しい、
と感じる方もいるかもしれません。


ありのままの自分を
受け入れられない自分に、
どうしてありのままを
好きになれないんだろうと、
苦しくなっている方もいるかもしれません。


そうした時は、
ジャッジをせずにただそのままを見つめる、
そんな時間を持ってみるといいかもしれません。


目の前に起きていることをただ観察してみる。


自分が感じること、見ているもの、
聞いていること、味わっていること、
感情、思考など全て。


それらをジャッジせずに、
ただありのままに気づいていく。



例えば、
ネガティブな感情が沸きあがってきた時も、
それを否定したり、変えようとするのではなく、
ただ観察して気づいてあげる。


私はヨガをしますが、
身体がかたまっている日でも、
良い悪いで自分をジャッジせずに、
ただ身体の崩れたバランスに気づいて、
バランスを調えてあげる。



そうして、
モノゴトそのままを
見るクセをつけることで、
ジャッジから生まれる執着が緩まり、
自己否定が自然と緩んでいきます



自己受容が自然と進んでいく。


ジャッジをせずに、
ただその瞬間に集中する練習は、
ただ自分を見つめる練習に繋がり、
執着を手放し、
自分を愛する練習にもなるのです。

おわりに

ジャッジをせずに!、
と言っても私たちはジャッジをします。


でもジャッジをした自分を
否定してしまっては、
またそこにジャッジが生まれ、
苦しみに繋がってしまいます。


ジャッジをしている自分にも、
ただただ気づいてあげる


そのジャッジをした心をそっと、
この瞬間起きていることに
集中力を傾ける意識に引き戻してあげる。


常に観察する意識、
ただ気づいていく意識を持ってみること、
これがとても大切です。



自分がどんなことにジャッジをして、
囚われているのか、

少しずつでいいので見つめてみて下さい。


そして余裕があれば、
ただその瞬間に意識を引き戻すことを、
自分に許してあげてみて下さい。

みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。

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