こんにちは、
「ジャッジを手放す」について、
思考を巡らせているさやかです。
この言葉、
今年前半のキーワードになりそう。
頭では分かっていても、
しみついた日常から切り離すのが難しい!
さて昨日、
「諦める」について書きましたが、
無理矢理に「諦める」
(そう思おうとする)のではなくて、
考え抜いた先に納得感と共に「諦める」
(結果的にそうなる)
という感覚が、
とても重要だと感じています。
今回は、
「諦める」という感覚が分かっても、
それでも恐れはあるよね、
というお話をしたいと思います。
全てを手放す必要はない
「諦める」
という言葉が腹落ちしたとして、
自分では何もコントロールできない
と理解しながらも、
それと同時に浮かび上がる
恐れや不安など
全てをすぐに手放せなくてもいい、
と思っています。
例えば、
コロナで感染者が増える中、
学校に行かせるかどうか問題。
アメリカでは、
通学かオンラインか選択できるので、
どうするかは親の判断です。
この時、
「諦める」
「コントロールを手放す」
という視点から見ると、
死は自分がコントロールできることではない、
ということになり、
全ては完全で必然なのだから、
(必要な対策はした上で)
ウィルスを恐れる必要はない、
となります。
でも、だからといって、
何が起きても大丈夫!
である必要はないと思う。
結果を手放すからといって、
死や喪失への恐怖を全て
手放せている状態である必要もないし、
もし家族が感染して何かあった時に、
そう簡単に受け入れることはできない
自分がいてもいい。
これは、
私自身を思い返してみても、
一時帰国中の子連れの横断歩道だったり、
スキー場へ行った時に怪我をしないかどうか、
だったり。
特に親は子供を守らなければならない、
という想いが強いので、
危険な目にあうかもしれない、
大けがをするかもしれない、
死んでしまうかもしれないと、
そういったことに対して、
必要以上にピリピリするのではないかと思います。
なのでこの気持ちを、
100%手放して大丈夫!と思う必要はない。
でも、
後悔することを恐れるばかりだったり、
心配しすぎると何もできなくなるので、
最終的には、
全ては完璧だということを受け入れて、
明らかにして諦めて、
結果のコントロールを手放した上で、
自分が最も心地よいと感じる選択をする。
そのバランスが
とても大切だと思います。
逆に言えば、
恐れを持ったままでも、
明らかにして諦める、
コントロールを手放すことはできるし、
そのことで
不安もまた緩めることができる。
コントロールが緩んでいけば、
ゆくゆくは死の恐怖すらも、
手放せるようになると思いますが、
最初から完璧である必要はないですね。
私自身も一つずつ、
積み重ねていこうと思います。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。