中庸とは感覚的なモノ

自分らしさの見つけ方

こんにちは、さやかです。



最近すごく感じるのが、
中庸に生きる、真ん中にバランスするって、
頭で考えてできることではないんだな、
ということ。



例えば私自身、
もともと執着やコントロール欲といった
エゴの意識がすごく強い人でした。



だから、
人間関係の中で、

「相手に自分の要求をおしつける」
「相手に自分の正しさをおしつける」
「相手をコントロールしようとする」

といった意識が強くて
相手とぶつかることがよくあった。



そんな自分が苦しくて、
執着を解放しようと進んできました。



そうすると今度は、
「相手は相手だからと無関心になる」
となっている自分に気づく。



でも結局これって、
陰陽の違う方向に傾いただけで、
どちらもエゴの意識です。



エゴの意識というのは、
囚われた思考の意識であり、
ジャッジする意識であり、
執着する意識であり、
だからこそ分離していく意識。



前者も後者も、
分離の意識が共通している
(相手は相手、私は私)
ということです。



もう一つ例を挙げると、
「あなたなしでは生きていけない」も、

反対に、
「私は1人で生きていける」も、

どちらも執着の意識で、
「私」エゴ意識が根底にあります。



その他にも、

自分に厳しくする/自分を甘やかす
自己犠牲をする/相手にに無関心になる
自分を大切にする/相手を犠牲にする
頑張る/サボる
何かを得ようとする/何も行動しない

などなど。



これらはどれも陰陽に偏っていて、
その根底には執着がある状態です。



執着を生むエゴの意識というのは、
さきほど書いたように
さまざまな言葉に置き換えられますが、
思考で考えている状態とも言えます。




思考で考えている以上、
二元的なジャッジメントの世界から
抜け出せないので、
真ん中にはいれないということ。



思考でバランスしようとしても、
結局は分離フィルターでしか見れないので、
二元のどちらかに偏ってしまうのです。



真ん中にバランスするには、
思考優位ではなく感覚優位になって、
感じていくこと




相手を支配しようとするでもなく、
相手に無関心になるでもなく、

相手に依存するのでもなく、
相手と線を引くのでもなく、

「私」という意識をうすめていく



そうすることで、
相手との一体感を感じられる
ようになります。



一体感のフィルターで世界を見ると、
不思議と真ん中にあれる




それは思考から解放されることで、
今ここを感じる力が強まって
執着やジャッジのない状態で
相手と接することができるから。



まずは体験⇆観察を通して、
ジャッジメントや思考優位から
解放されていくことです。



そのことで、
あらゆる状況で「執着する」
から解放されていくと、
真ん中にあれる
ようになっていくのですね。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

相手との一体感を大切に。

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