自分と向き合うのが恐いのはなぜか

意識をほどく

こんにちは、青山さやかです。



このところ、
様々に身体のことについて、
学びを深めています。


今まで全く知らなかった世界に
足を踏み込んでいるので、
アップアップしていますが。


自分がどれだけ無知だったか…
思い知らされています。


日々、
9000回も選択をしていく中で、
”あたり前だから”の思考停止で、
選択しているという事実。


恐いなぁと思います。



さて今回は、
思考停止の裏にある恐れ、
についてお届けします。


思考停止状態とは何か

思考停止状態とは、
自力で問いを立てていない状態




世間で言われていることを、
”当たり前”としてしか捉えず、

言われたことをそのまま鵜呑みにして、
疑うことすらしないこと。


”自分で考えない”ことには、
簡単に洗脳されてしまう、

という恐さがあります。



私が最近どうしても、
違和感を感じずにはいられないことに、
こんなことがあります。


家族を養うためには仕方ない、
会社員だから仕方ない、

何が好きなのかわからない、
このままだと老後どうしよう、

まぁ不幸じゃないし、苦しくないし、
一般的な幸せは手に入っているし、

こんなもんだよね人生…みたいな。


これも思考停止状態、
人生の探求をやめている状態です。



でも本当に、
それでいいのでしょうか。



背景にある恐れ

誰しもの中には、

自分の力を発揮して生きたい
人生を充実させたい

というような想いがあるはずだと
私は思っています。


でも、
どうして問いを立てることをせず、
ある程度で満足してしまって、
それ以上追及をやめてしまうのか。


この背景には、

・効率を求められるこの世の中で
立ち止まって考える余裕がないから

・情報がありすぎて分からないから

などといった理由もあると思います。




でも大きな要因は、
「恐れ」なのではないかと思います。


この世の全ては常に変化しています。


その中で、
幸せや喜びも必ず変化していく。


永遠に同じ状態が続くことはないので、
幸せや喜びは必ず苦に変化します。


となると、
誰しもにとって幸せは一瞬なモノ
というのが真意であり、
人は無意識にそのことを知っている。



だから、
深く人生を見つめてしまうことで、
深く自分を見つめてしまうことで、
その受け入れがたい事実に気づくのが恐い

のではないかと。



”今の現実でもう十分”と思いこんでいたい、
”表面的に幸せな私”で満足していたい、
という想いの裏には、

「永遠はないことに気づきたくない」
という恐れがある
のです。


もうこれでいいんだ~と
人生はこんなもんなんだ~と
深く考えなければ、

モノゴトを感じる感度が低いままなので、
苦しみを感じる感度も低くいられる。



人生を探求したくないのでも、
自分を探ることに興味がないのでもなく、

本当は、

深く問いを立てるのが恐い
深く自分を見つめるのが恐い

だけなのではないかと思います。



でもそれでは、
自分の本質とつながれず、
ここに在る意味を深く感じることも、
本来の力を発揮することもできません。


どちらがいいのか。


それはそれぞれの選択ですが、
恐れを乗り越え自ら問いを立て、

人生/自分と向き合うことで、
最終的には日々が何百倍も輝いてく
のではないでしょうか。



おわりに

深く問いを立てるのが恐い
深く自分を見つめるのが恐い



この恐れは、
乗り越えてみると実は案外
恐くないのではないかとも思います。


しっかりと執着と向き合い、
幸せも苦しみも同一化せずに、
ありのままを見つめるスキル。


これが問いを立てていく中で
磨かれていくので、
自然と苦しみを感じることが
恐くなくなっていきます。


ちなみに私は、
人生や自分を深く探求して、
真実を見極めていくことが、
たまらなく面白いと感じます。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

問いを追求すればするほど、
自分の力を感じられますように。

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