脳内の自分責めが加速する理由

自己受容したいとき

こんにちは、青山さやかです。



今日は満月、
ずっと気になっていたソファを、
感謝と共にさよならしました。


やはり大きな家具がなくなると、
部屋の印象がガラリと変わります。


重く感じていた空気も、
軽くなるように感じます。


スッキリとシンプルな、
そんな人生を目指したいですね。



さて、
新しい学びをしていく中で、
発令しがちな何が正しいのか、
という思考のクセ。


今回は、
脳内の自分責めが加速する理由、
についてお届けします。


戻ってきた”ねばならぬ”

ここ最近学び始めた、
身体のしくみについての学び。


内面の働きと、
動きとしての働きと、
両面から理解を深めています。



今までは基本的に、
心の学びがメインだったので、

心を模索する上での
心地よさ=どこに軸を置けばいいか、
というのは分かっています。



でも、
新しい分野となると話は別。


はじめての知識なので、
全体像もよく分からなければ、
判断材料もない状態。


入ってきた知識に対して、
問いを立てるほどの理解もなければ、
分からないから不安なので、
正解が知りたくなります。



でも世の中には、
常に反対の意見を言っている人がいます。


糖がいいですよ、
糖が良くないですよ、

食べない方がいいですよ、
しっかり食べたほうがいいですよ、

お肉がいいですよ、
お肉はよくないですよ、

ウイルスは排除した方がいい、
ウイルスなんていません、

ワクチンを打った方が安心です、
ワクチンは凶器です…

などなど。



これは健康に関したことだけでなく、
何においてもそうだと思います。


ただ、
心よりも身体の方が物質的な話なので、
なんとなく正解があるように感じませんか。


私自身、
どういうことでそれを言っているのか、
色々と調べて仕組みの理解に努めますが、

何せ知識が浅い上に情報量が多く、
軸をどこにおいたらいいのか迷子。



とりあえず、
学んでいることを信じて、
実践・実験していくしかないのですが、

分からないからこそ、
見事に「ねばならぬ」に捕まりました



例えば、
油はダメ、穀物もダメ、サラダもダメ、
サプリは良くない、大豆もダメ、
プラは排除すべき、糖を取らないとダメ…


誰も強制していないし、
しくみや考え方を教わっているだけなのに、
自分で自分を縛っていきました。


常に頭の中で、

”あ、それするのね、
ってことは身体は変わらないよ”

”あー、まだまだダメだね、
だからいつまでたっても同じなんだよ”

みたいな感じで、
自分を見張るクセが発動…。



そして、
知識が先にくるので、
ジャッジに囚われていきます。


そうすると、
自分がどう感じるかが後回しになって、
本来の自分の声に蓋をして、
我慢させているような状態に陥ります。


こうやって自分を見張ったり、
ねばならないで縛ったり、
正解したいと心の声を無視していくと、
日常に色々と障害がではじめます。



二次被害

自分に対する接し方
=相手に対する接し方と言われますが、

自分を我慢させていたり、
縛りつけたりしていると、

相手にもそう接するようになります。



今回も突然、
それまで気にならなかった
子ども達の言動が気になり始めて、

将来の不安を感じて、
こうすべきだ!と注意し始めたり。


夫に対しても、
色々と言動が気になって仕方なくなり、
こうあるべきを押しつけてみたり。


あちこち散らかっているモノに、
怒りをぶつけてみたり…


その一方で、
自分のイライラや違和感を
押しつけている自分を責めたり、

自分のダメさ加減にがっかりして、
緩めたはずのセルフイメージが戻ってきたり。


とにかくいちいち、
色んな事が気になって、
些細なことでイライラしていました。



これ全て、
脳内の”自分を責める声”のせいです。


これを手放していくには、
まずは書き出して、
どんな声があるのかに気づくこと。


気づけるだけで、
こんなことに縛られてたのか、
と緩める一歩になります。



そして、
何に自分が執着をして、
自己同一化をしているのか、
それを明らかにしていく。


そうすると、
どこを緩めてバランスを取ればいいのか、
が見えてきます。



最終的に大事なのは、
心地よさはどこにあるんですか?
ということです。


何を食べても食べなくてもいいし、
未来を心配してもしなくてもいいし、

正解してもしなくても、
勝っても勝たなくても、

執着をしていてもしていなくても、
エネルギーが高くても高くなくても、

どっちでもいいのです。



大切なのは、
あなたにとって
どのバランスが心地よいのか?

それ一点。


どっちでもいいという中で、
どの辺を選択していくのが、
心地よいのかな?ということです。


行動を取る理由が、
何か正解しようといったような、
結果に執着した状態では、
脳内の声はうるさくなるばかりです。



今置かれている状況が苦しかったり、
何か違和感を感じるのであれば、

ちょっと工夫をしてみればいい、
違うことをしてみればいい。


自分の心地よさに近づく、
ただそれだけです



苦しかったり違和感を感じる、
今の私は何かが間違っているから、
何かを変えなくちゃと思ったり、

新しい選択をした際に、
だから今の私は正しいんだ、
である必要もないということです。



ジャッジを手放して、
探求を楽しんでいく姿勢、
これが大切だということを
改めて実感したできごとでした。


おわりに

新しいことを学ぶことは、
とても楽しいことです。


知らなかった世界が開けて、
知らなかったことがつながって、
世界が広がっていきます。


でも、
決して自分の中に取り込まないこと。


知識はどこまで行っても、
探求するための”ツール”であること

がとても大切です。


この知識に執着した途端、
ジャッジの世界に囚われて、
人との分離が加速して、
人生が苦しくなってしまいます。




今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

何度だって中心に戻れる、
しなやかさを磨いていきたいですね。

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