こんにちは、さやかです。
大学の頃を振り返っていたのですが、
本当に自由人だったな~と思います。
そんな自由だった私が、
社会人になってからどうも苦しかった。
理由は、
”大人だから”という理由で、
自分を縛っていたから。
今回は、
そんなエピソードから、
その裏に隠された母への想いについて
お届けしたいと思います。
フリーダムだった大学時代
大学の時時代、
私の代名詞は“フリーダム”でした。
クールな私も混在していたから、
見た目はクールで心は熱く、
とにかくフリーダム、
というのがみんなの思う私。
母が無くなってすぐだったので、
喪失の傷は抱えていたけど、
本当自由人だったと思います
(背中に自由人ってT-shirt着てたな…笑)。
それこそ、
やりたいことしかしてなくて、
興味のない授業は寝るし、
校舎内でもいっつもボール持って
練習しながら歩いていたり。
母のこと思い出して悲しい時も、
所構わず泣いたり。
興味ない事には興味ない、
興味あることには飛びついて、
必死でやって、
めっちゃ輝いてたなと感じます。
部活やメンタルの研究もそうだし、
オフシーズンには、
色んな国をバックパックで旅したり、
自転車で京都から横浜まで帰ってきたり。
好きな人はとことん好きだし、
嫌いな人は苦手意識満載。
どんなに理不尽な感情も、
思いっきり出していました。
そして、
そんな自分が大好きだった。
会社に入ってからも、
お前は自由過ぎるって怒られたり、
ほんと自由だなぁって
よく言われていました。
でも、会社にいると、
自由ばかりには振舞っていられなかった。
自分の自由さを、
大学まであった自分の輝きを
奪われるようで、
自分が自分ではなくなっていく
のが耐えられなくて、
辞めてシンガーになりました。
自由で輝いていた、
フリーダムだった自分を求めて。
そこから、
真の自由を探求し続けて、
もがき続けて、
自己受容に出会いました。
エネルギーマネジメントや、
抽象度を上げて本質的に生きることで、
エゴに支配されない生き方も学びました。
そうして今、
心穏やかに過ごせること、
全てに感謝して過ごせること、
どっちでもいいと思えるバランス、
という”自由”が私にはあります。
これは究極の自由に感じるし、
私にとってとても心地よい。
こうした学びに出会えたこと、
その自分の道のりや、
周りの支えには感謝しかありません。
フリーダムはどこにいった?
ただ、一方で、
大学の時に私にあった”フリーダム”は、
会社を辞めて求めていた”フリーダム”は
今日常であまり感じられてない気もする…
とも思いました。
自然の中にいる時、
自然の中で泳いでいる時、
走り回っている時、
スポーツしている時。
その”フリーダムな私”は
今でも確実にいると感じます。
でもそれを
日常には持ち込めてないかも?
その理由はなんだろう?
と掘り下げていくと、
”大人だから”、”社会人だから”でした。
(私の大人の定義は大学卒業後から)
つまり私は、
大人は子どもの様にふるまってはいけない
=大人だから子供を養わないといけない
=大人だからお金を稼がないといけない
=大人だから役割を担わないといけない
=大人だから責任を果たさないといけない
といった価値観、
この世界を見るフィルターを
持っていることになります。
また、
やってもらったら返さないといけない
=今まで散々自由にさせてもらったんだから、
社会に(親に)返さないといけない
と言った価値観も出てきました。
恩返しできなくてごめんなさい
うーむ…と思いつつ、
過去を振り返ってみると、
「こんだけ苦労して育てても、
老後になったら見捨てるんでしょ!」
「さやかは手のかかる子」
「さやかは金食い虫」
と母からの言葉が聞こえてきます。
その気持ちに寄り添っていくと、
苦労掛けてごめん!
手がかかる子でごめん!
お金がかかる子でごめん!
親を裏切る子って言われて悲しかった!
大人になったら恩返ししなくちゃって
いつも思っていたよ…
もっと手のかからない子ならよかったのに
もっと育てやすい子だったら、
ママは幸せだったろうに
もっと育てやすい子だったら、
ママはストレスで死ななかったのに…
私のせいでママが死んじゃった。
私が手がかかる自由な子だから
死なせてしまった。
大人になったら
恩返ししようと思っていたのに、
出来ずに終わっちゃたよ…
苦労だけ掛けて
私はまだ何もできていない。
私がママの子でごめん。
死なせてしまってごめん。
…そっか、
恩返しできなかったことを
こんなにも悔やんで責めていたんだ。
だから、
大人になったら役割を果たさないといけない、
やってもらったら返さなければいけない
という想いが手放せなかったんだ、
とクリアになりました。
母からのメッセージ
年末から、
心の中での母との会話が進んでいるので、
(天国のママへ~18年目の手紙~)
(過去が書き換わると全てが愛に換わる話)
母と心の中で会話しました。
母から、
頑張ってくれてありがとう
恩返ししようと思っていてくれてありがとう
ごめんねって言ってくれてありがとう
ママはあなたの輝いている顔が好きだった
夢中になっている時の顔が好きだった
自由なままでいいよ
”大人”になって償わなくてもいいよ
と。
もう、
償えない私を、
恩返しできない私を責めなくていい、
そう思えました。
おわりに
恐さや罪悪感が手放せると、
べきねば価値観も緩みます。
今回私は、
”フリーダムな私”を深掘りすることで、
”大人”や”社会人”という枠に、
自分を閉じ込めていたこと
に気づけました。
閉じ込めてきた要因も分かったので、
罪悪感を感じ切って、
手放していけると思います。
そして、
その罪悪感が手放せたら、
そのままの自分に許可を出せるので、
自然と私にとっての
そのままの状態=”フリーダム”にもなれる。
過去の詰まりを取れば、
後は流れるだけですね。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。