亡き母への償いの気持ちが癒えたトキ

愛する人を失うこと

こんにちは、さやかです。


新しい年を迎えてから、
私を取り巻く環境が
めまぐるしく変化しています。


その中で、
私の核心に触れる出来事があり、
大きな気づきへ導いてくれました。


そんな道のりをまとめてみます。

価値観を探る

半年前に、
自分を許し、愛そうと腑に落ちてから、
様々な出会いと学びがあり、
自分の価値観と向き合ってきました。


人は何か出来事があったとき、
思考が生まれ、感情を感じ、行動します。


ただし、出来事が起きたとしても、
人によって起こす行動は異なります。


それは、
それぞれ価値観が違うから。


価値観が違うから
思考・感情にも差異が生まれ、
最終的な行動もそれぞれになる。


つまり、
思考や感情の裏には
必ずその人なりの価値観があります



この価値観が厄介で、
親からの教えや実経験を重ねる中で、
本当に正しいかどうかは別として、
自分の中で“正しいと思い込んでいる基準”です。


“べき・ねばならない”と自分を縛り付けて、
気づかぬうちに自分を苦しめることも
少なくありません。


この半年間、
思考や感情の裏にある「価値観探し」
を日々ひたすら重ねてきました。


私を縛りつけていたもの

価値観を探る中で、
見つけ、手放してきたモノは、
これまでも書いてきた通りです。


持っている価値観というのは、
自分にとっては当たり前のもの。


霧に埋もれているような感じで、
とても見つけずらいので、
丁寧に向き合っていくことが必要でした。


価値観を探る中で見えてきた、
私にとって主軸となっていた価値観。


それは、
“人の期待に応えなければならない”
という価値観でした。


大体の場合、人=母となるので、
“母の期待に応えなければならない”
ということになります。


心の核心に触れる

なぜ、
“母の期待に応えなければならない”
という価値観が生まれたのか。


もちろん、
母親に認めてもらいたいという気持ちは
誰しもにあると思います。


でも何かひっかかる感覚があり、
何日かその問いを探っていると、
とても不思議な経験をしました。



ある日の瞑想中、
ふと様々な過去の自分が
浮かび上がってきました。


その過去の中を歩いていくと、
膝を抱えてふさぎ込んでいる
自分がいました。


その自分が抱え込んでいる
心を探っていくとそこにあったのは、
“私のせいで母は死んだ”
という想いでした。


その想いに触れた瞬間に、
涙があふれ止まらなくなりました。


これが私の本音かもしれない、
これが私の根源かもしれない。


母はガンで病死でしたので、
直接的に私のせいではないし、
それは分かっていました。


でも、
“私がワガママで期待に応えられなかったから
母は亡くなったんだ”

そう思い続けて、
自分を責め続ける自分がいました



もう17年も母の死と合ってきたのに、
まだ解消できていない想いがあった。


でも、
霧に埋もれた本音を見つけたことで、
様々なことが繋がっていきました。

気づいて手放す

母への償いの気持ちが
“母の期待に応えなければならない”
という価値観に繋がり、

“人の期待に応えなければならない”
という価値観として
私を縛りつけていました。


母の期待に応えなければならないので、

・負けることは悪である
・負の感情は悪である
・人の心を理解できないのは悪である
・否定されることは悪である

といった母から受け継いだ価値観も
手放すことができなかった。


すぐには難しいかもしれないけど、
母の死の償いをするために、
母の期待に応える人生を送るべきである

という価値観を緩めていこうと思います。


母への償いの気持ちを
抱きしめて受け入れていきたい



そのことで自分が握りしめてきた
さまざまな「価値観」も
きっと緩んでいくのだろうと思います。


まとめ

母を亡くした時の私は、
冷たい空気に包まれ、
どん底で真っ暗で冷たい部屋に
1人で放り込まれたような状態でした。


切なくて苦しくて、
後悔と償いと自責の念で、
心が張り裂けそうだったあの時の自分を
もう一度抱きしめて、
もう大丈夫と伝えてあげようと思います。


人の心は複雑ですね。


でも、探っていけば傷は癒える。


価値観に深く目を向けたことで、
より強く優しい自分で生きられるようになる、
そんな気がしています。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。


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