過去が書き換わると全てが愛に変わる話

-感情を整える

こんにちは、
”郵便屋さんに感謝な”
さやかです。


待っていた日本の雑誌、
HONEYの1月号が届きました♡


テーマは「足るを知る美学」で、
エシカルな情報満載。


開いただけでも癒される、
心地いいっていいですよね。


でも、
心地悪さから掘ることも、
とっても大事です。


今回は、
心地悪さを掘り下げて、
過去が書き換わり、愛に気づいて、
比較が緩んだお話についてお届けします。



自分を安易にわかってほしくない

心と向き合う中で、
比較がどんどん緩んでいる最近。


ただ、
久しぶりに会う人に対して、
初めて会う人に対して、
なぜかモヤモヤがこみ上げてきます。


自分を安易に分かってほしくない、
自分を勘違いされそうで恐い。



この恐さは何だろうか、
何が引っかかっているのか、
掘り下げてみました。



まず、どんな感情があるのか。

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私のこと勘違いされたくない~
私の努力が分かってたまるか~
のうのうと生きている人と同じでたまるか~
何か挑戦する時に自分の可能性を否定されて悔しかった!
マウンティングもされて嫌だった!
絶対に成功して見返してやる!
みんないつだって私の直感を否定してくる!
いつだって私のやろうとすることはまず否定される!
くやしい!くやしい!見返してやる~
信じてほしかった、そのままの力を信じてほしかった!
やりたいようにやることを応援してほしかった!
感情が強い私も、意志の強い私も否定しないでほしかった!
他の誰かになることを求めないでほしかった!
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玉突きで出てくる出てくる。


つまり私は、

私の想いは否定される
私の想いは疑われる
私の可能性/感覚は否定される


という価値観フィルターで、
この世界を見ていることになります。



では、
いつからそんなフィルターを
持つようになったのか?


私は小さい頃から意志が強くて、
でもそんな私に対して母は
なんとか言うことを聞かせようとしてきた
記憶が蘇ります。


同級生で活躍している子や、
TVに出ている子等と
比較された思い出も出てきます。



そのままの自分を否定され、
他の誰かと比べられて、私は、

その人の様になれ!
その人を超えないと存在価値がない!


と言われているように感じてきた。


母に
”そのままの自分ではダメ”
“他のすごい誰かになりなさい”、
と言われたと感じた私は、

”何かができる自分”じゃないと、
そのままの自分では存在価値がない

という想いを持つようになった。


だから一生懸命、
他の誰か=何者かになろう、
何かスキルを身に着けよう、
自分にしかないことを仕事にしよう、
と頑張ってきました。


こうして考えていくと、
そのままの自分じゃダメ、
だと思っているから、

誰かと久しぶりに会ったり、
初めて会ったりする時に、

”こんなすごい自分”
を見せつけなくてはならない様に感じて、

ちゃんと分かってもらえるかな、
ちゃんと認めてもらえるかな、

とモヤモヤしたり、
緊張したり、気張っていた、
ということが分かってきます。


人と同じであることが恐い

さて、小さい頃から私は、
自分のやりたいことを、
周りの反対を押し切って
やり通してきたタイプでした。


型にはめられるのが大嫌いで、
自分がこうと思ったら絶対に曲げない。


周りにも先生たちにも、
常識や型にはめようとされると、
めちゃくちゃ反発して、
自分の意思を通してきました。


”何かができる自分”じゃないと、
そのままの自分では存在価値がない
と思いながらも、
自分の想いに突き進んで来た。


ちょっと矛盾してみえるのですが、
紐解いていくと色々と見えてきます。


まず、
型にはまりたくないと思いつつ、
”型にはめられそうになる”事象が、
何度も何度も起きるのは、
何かそこにメリットを感じているから。


顕在意識で望んでいなくても
潜在意識が望んているから、
同じことが起き続ける、

と言われます。



型にはめられそうになることで、
私は何のメリットを感じてきたんだろう?


相手に、私のことを否定して、
型にはめようと(相手の想いに当てはめようと)
しにきてもらうことで…

私は型にはまらずにそこから飛び出して、
「人と違う」ということを強く感じられていた。



つまり、
私は人と同じであることを恐れていた
ということになります。



一見、
自分のやりたいことをやり通す
=そのままの私で生きている、
と見えます。


だけどそうではなくて、
私は型にはまらずやりたいことをやることで、
「人と違う」を感じていたかった。


つまり、

人と違う状態
=他の誰かすごい人になっている状態
=そのままの私ではない状態

(かなりトリッキーな思考回路…)

を感じて安心していたかったんだ。


なぜなら、
その他不特定多数では
母に認めてもらえないから。


頭一つ飛び出していないと
母に認めてもらえないから。


そのままの自分では
母に認めてもらえないから。



そんなにまで私は、

そのままの私じゃダメ、
本来の自分ではない他の誰かになれ、


と言われているように感じてきて、
母に認めてもらうために頑張ってきたんだ。


母にここにいていいと
思ってもらうために頑張ってきたんだ。


そのままの私じゃだめだから、
母の期待に応えようと、
色んな「人と違う」自分でい続けよう、

としてきたんだ。


そのままの私で認めてほしかったな。
他の誰かになれって求めないでほしかったな。
私は私でいいって言ってほしかったな。


…ずっとこの悲しみがあったんだ。


だから、
私はなかなか人との比較を手放せずに、
何者かになることにこだわってきたんだ。


手放したら、
母に見捨てられそうで、
めっちゃ恐かったんだね。


眠っていた色んな感情と、
手放せずにいた恐がっている自分と、
母の教えをずっと守ってきた自分が、
どんどんと紐解かれていきました。


母の本当の願い

そんな悲しみや恐れを
感じて出してあげると、

母の本当の願いは何だろう?
という問いが出てきました。


母は私に、
他の誰かになってほしかったんだろうか?


比較を通して、自分を卑下して、
このままじゃダメだ、
と自分に鞭打ってほしかったんだろうか?


そのままの私じゃダメだって、
本当に思っていたんだろうか?


きっと、違う。


母は、
私に幸せになってほしかった、
私にいい人生を歩んでほしかった、

そんな想いが根底にあったのを感じます。


母は私が幸せな人生を生きるために、
色んな事に挑戦してほしかっただけ。


ん?つまりもしかして…


母は私がいい人生を歩むために、
色んな事に興味を持って、
学んだりしてほしくて、
ただ比較対象という”刺激物”を
見せてくれていただけだった
のか…。


なんだ、、
そういうことだったのか。。


他の誰かになれって言いたかったんでも、
そのままのあなたはダメって
言いたかったんでもなかったのか。



ただ、
目標や夢や刺激を
与えたかっただけなのか。


それが分かった時、
比較されて苦しかった日々が、

そのままの自分でいないために、
高みを目指して頑張ってきた日々が、
感謝に変わりました。



ありがとう。

私の幸せを何よりも考えて、
そのために一生懸命
愛してくれていたんだね。

私の勘違いだったね、
そのまんまをもうすでに、
受け入れてくれていたんだね…。

おわりに

親が愛だと思って伝えていることが、
子どもには全く違って伝わっていたり。


愛情を伝えるって、
簡単そうで難しいですね。


愛しているがゆえに、
心配したり、残念に感じたり、
期待したり、コントロールしたくなったり。


全ては相手の幸せを想うから、
相手を守りたいと思うから。


恐れでなく愛を見る。


その視点を忘れずに、
過ごしていきたいなと思います。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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