こんにちは、
“少しは生き急がなくなってきた”
さやかです。
年末から色々と変化している、
亡き母への想い。
母への想いがゆるむほど、
特に長女への想いが
変わっていくのを感じます。
今回は
長女への愛情が溢れ、
子どもの相手が心地よくなったこと、
についてのお話です。
甘えられるとザワザワする
自分に厳しい自分を緩め始めて1年半。
色んな自分を許せるようになって、
自分のエネルギーのコップも
満たされてきたこともあり、
止まらなかった長女へのイライラは、
びっくりするほど落ち着きました。
ただ、甘えられると、
心の奥がなんとなくザワザワ。
心に違和感があるなぁと、
無理に甘えさせてあげている感が
あるなと感じていました。
でもこのところ、
それが一気に緩んでいます。
なぜか。
まず年末に書きましたが、
母の死への償いや、
母の分も生きて成功しないといけない想い、
の鎖を手放すことができたこと。
そして昨日の記事で書いた、
母から受けてきた比較が、
感謝に変わったということ。
この2つが緩んだことで、
私の中での力みが消えました。
1-2年前に比べたら、
もちろん心は緩んできて、
今ここを生きられるようになってたけど、
いつもどこか力が入っていて、
生き急いでいた私。
その力みが消えました。
私は、
母に償えなくなるのが、
母の分も生きて成功できなくなるのが、
母の比較に応えられなくなるのが、
どうしても恐くて恐くて、
手放せなくて力んできたんだな。
この恐さを手放せた後振り返ると、
そんな風に思います。
本当に恐かったんだ。
自分を追い詰めてまで、
自分の体調を崩してまで、
そこに応えないと恐くて、
いてもたってもいられなかった。
色んな方向から
たくさん緩めてきたけど、
人生の焦りが消えきらなかったのは、
この恐さが残っていたから。
そして誰しもが、
この恐さがあるからこそ、
何か手放せないものがある、
そう思います。
どうやって手放してきたか?
恐さに気づいて、
心の底から納得して手放せるまでには、
小さなリリースの積み重ねが
絶対的に必要でした。
だから、
まずは小さなリリースの積み重ねから。
それと同時に、
私は何を恐がって、
このクセを手放せないんだろう?
と問い続けることも、
とても大事だと思います。
こうして恐れが手放せると、
まだどこかで”そのままの自分”
を責めていた、
インナーマザーが緩みます。
そうすると、
目の前の娘への愛情が溢れてきました。
こんなに輝いていたんだな、
こんなに一生懸命だったんだな、
こんなに愛おしかったんだな。
もちろん今までもそう思っていたけど、
愛が溢れ出てくる感覚。
そうすると甘えられても
もう何もザワザワしなくなりました。
自分をどこかで責めていたから、
力んでいないと許せなかったから、
頑張っていないと認められなかったから、
だから甘える長女にモヤモヤしていた。
全ては繋がっているんだな、
と実感します。
子どもの相手が楽しくなる
子どもの相手をすることが苦痛で、
なかなか楽しめなかった私。
どうしたら楽しくなるかと、
色々と試行錯誤してきました。
でも、
こうして恐れが外れていくと、
どこかで自分を責めて、
どこかで自分を焦らせてきた自分
(インナーマザー)が無くなり、
今ココにいられるようになる。
焦らずに、生き急がずに、
今この瞬間にいられるようになる。
そうすると、
目の前の相手の話を聞くことが、
目の前の相手と関わり合うことが、
心地よさに変わりました。
今まではどこか焦っていたから、
話を聞いている場合じゃなかった、
一緒に遊んでいる場合じゃなかった。
でも、
私たちが本来望んでいることは、
誰かや何かに責められそうで恐いから、
未来を生きることではなくて、
今を生きることなのですね。
それが、人にとっての、
”自分が満たされている状態”の究極、
なのではないかと感じています。
何のためらいもなく、
身体と心が一つになる、
今を感じて今を生きること。
そのために、
”誰かや何かに責められそうな恐さ”を
紐解いていくこと、です。
私もまだまだ、今までのクセで
生き急ぎがちではありますが、
この今ここの心地よさを
もっともっと感じていきたいなと思います。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。