気を遣いたくないのに気を遣ってイライラする訳

比較やイライラが苦しいとき

こんにちは、さやかです。



昨日から20年来の寒波で、
大雪に見舞われています。


一昨日の夜から降り出した雪は、
今朝方まで振り続き、
辺り一面真っ白の雪景色。


車も出さない方がいい状況で、
学校もお休みです。


買い込んだ食料を消費しながら、
雪遊びを楽しんでいます。


とはいえ、
マイナス15度なので、
長時間外にはいれませんが…


そんな中、
ネット回線が繋がらなくなったり、
計画停電をする地域が出たり、
寒さに慣れていない地域だけに、
なかなか大変です。


そんな中でも、
インフラを整備して下さる方がいる。


こんな雪の中でも、
出勤して働いてくださる方がいる。


電気がついて、
水やガスも出て、
家にいれば何不自由することがない。


ありがたいことです。


今日は、
感謝のマインドフル瞑想をしつつ、
眠りにつこうと思います。


さて今日は、
気を遣いたくないのに気を遣ってしまう人の、
周りに気を遣い続けるメリット、
についてお届けします。


不器用な気遣い屋さん

自分の気持ちに
ウソをつけないタイプなのに、
変に気を遣って、

ムダに疲れてイライラして、
家族に当たってしまったり。


エネルギーが足りなくなって、
ぐったりと疲れてしまったり。


そんな経験ありませんか?


きっとね、
相手を思いやる優しさがあるから、
相手のことを考えて、
相手の立場に立って気を遣うのだと思います。


でも本当は、
自分のことや想いを抑え込んで、
頑張って無理して自分ではない自分を
演じようとしているから疲れてしまう



これは、
気づかない間に、
常に我慢している状態とも言えます。


そういう人は、
周りにも我慢を強要しがち


私だってこんなに
我慢しているんだから、
あなたも我慢しなさいよ~
と無意識に求めて、

自由にしている人にイライラしたり、
夫や子供を監視してしまったり。




私自身も、
気を遣いたくないのに、
気を遣ってしまうタイプ。


自由奔放に好き勝手にいたいのに、
気を遣うのもやめられない。


例えば、
義両親に直接言いたいことが言えず、
ため込んで夫に爆発するとか…


ママ友の集まりの場で、
上辺だけを装う自分で過ごした後に、
ぐったりしてしまうとか…


とにかく、
気を遣うのが下手なのに気を遣うから、
人間関係に疲れてしまう不器用さ



でも本来の自分を貫くのも恐い。


…なんで?


これってどういう状況?
と掘り下げてみました。


いつからそうなったのか

幼稚園の頃の私は、
周りのことを全く気にしない
マイワールド少女でした。


友達とたわむれる意味が分からず、
1人木に登ったり、
砂場でひたすらおだんごを作ったり。


そんな感じで小学生になり、
「友達になろう」と言われて、
「何で?」とか言いながらも、
少しずつ友達もできたりしつつも、
周りの目は気にせずに過ごしていました。


そんな中で、
小学校低学年の時に、
私が集団行動に合わせられないから困っていると、
先生が母に指摘するのを聞くことがあったり、

あなたを育てるのは難しすぎて
お手上げだと母に泣かれたり。


また、
母も気を遣いたいくないのに気を遣って、
我慢して自分を抑え込んだ分、
家族にイライラしていたタイプだったので、

家の中では、
母の顔色を伺う様になって、
空気を読んで動かなければと
母の機嫌悪い時はソワソワしたり。


そんな経験を通じて、
いつの間にか
周りの視線を気にするようになり、
1人でいるのもダメだ
と思う様になる自分がいました。


そして、
自分のペースを大事にしたい自分と、
相手の顔色を伺う自分と
で、
よく揺れるようになった。




気を遣いたくないのに、
気を遣ってしまう、
その原点はこんなところにあるのかな、
と振り返りました。


つまり、
母に嫌われたくない
(母の理想でありたい)
 ⇔
 そのままの自分でいたい
(母の理想に反発する)  



このダブルバインド


この相反する2つ、
結局は母の理想でありたいが勝って、
行動としてはそうなれるように頑張るけど、

そのままの自分でありたい想いを抑え込んで、
かなり我慢をしている状態なので、

イライラが募ったり、
どっと疲れが出たりしてしまう。


気を遣いたくないのに
遣ってしまう人の心の奥には、
そんな真理が隠れているかもしれません。


親の理想に応えようと頑張って、
親の理想とそのままの自分のGAPを埋めるべく、
そのままの自分を抑え込んできた
あなた。


そのイライラや他者への監視は、
抑え込まれたそのままの自分からの
助けを呼ぶ声かもしれません。


欲張っていこう!

ちなみに、
気を遣うのが面倒だと感じつつも、
気を遣うという行為を今でもしているのは、

潜在意識がメリットを感じているから
と言われています。


顕在意識では、
もう人の目なんて気にせずに、
ただただ自由に生きたいと思っているのに、
現実が変わらない。



私の場合は、
こんなメリットが出てきました。


「自由になり過ぎずに
一般社会に適応できる」

「一般的な”幸せ”を手に入れて、
周りに認められ、
ある意味人生で勝てている状態でいられる」


1つ目の、
「自由になり過ぎずに
一般社会に適応できる」
を考えていくと、

周りの目を気にする
というスキルを身に着けることで

私は母の理想に応えられていたんだな、
と思いました。


母は、
もともとハチャメチャだった私を
頑張って抑え込んで、
フリーダムさは残るけども
一般的には優秀な道のりに乗せてくれた。  


これはこれで
ありがたかったなと思います。


ということは、
私のそのままはもっと
はちゃめちゃってことか…。


でも今は、
「一般的な”幸せ”を手に入れて、
周りに認められ、
ある意味人生で勝てている状態でいられる」
この状態。


つまり、顕在意識では、

一般的な幸せじゃなくて、
ぶっとんだ幸せがほしいと願いながら、

ぶっとんだ幸せを手にするためには、
一般的な幸せ(家族がいて、子どもがいて、
裕福な暮らしがある日常)
を手放す必要があると感じていた。


だから変わるのが恐かったんだな。


根底には母に認めてほしい気持ちがあるし、
今の幸せもとても大切だと感じているしね。




で、
ここで出てくる結論としては、
どっちの幸せもつかんでいいよね、
ということ。


母の理想で生きていくことと、
そのままの自分をだしていくこと、
両方100%満たさなくても、
自分の心地よさは見つけられる。


母の理想でいいところと、
そのままの自分でいいところの、
いいとこどりをすればいい


自分を抑え込んで
母の理想である必要もなければ、
そのままの自分全開で、
あえて周りと衝突する必要もない。


相手に気遣いたいと
直感的に感じるのなら、
気遣うことも私の想い。


でも、
相手と違う自分の想いがあるのなら、
主張することを我慢する必要もない。


感じるがままに行けばいいんだ


気を遣っても気を遣わなくても、
はちゃめちゃでも
はちゃめちゃじゃなくても、
どっちでも、いいんだ



今までは我慢しないと
母の理想にはなれないと思ってきたけど、
我慢しない自分でも、
もう母の理想も満たせる。


この感覚、
まさに自己受容であり、
陰陽統合でした。

おわりに

こう思えるようになっても、
気を遣いたくなくても、
瞬時に気を遣っている自分がまだいます。


長年のクセなんだから当たり前。


そうした場合は、
何か覚悟を決めることが大事です。



私の場合は、
周りにとやかく言われる”覚悟”で、
私のやりたいを貫く。


私の想いを貫く。


そんな意識が有効そうです。



そして、
そうあるために、
恐さを超えて行動していく。


どんな恐さか?


私の場合は、
はちゃめちゃであることが、
母の理想に反する様で恐い。


はちゃめちゃな自分を出してしまうと、
母(周り)に否定されると思っている。


だから、
周りに何か言われないように、
自分の想いを否定されないように、
しっかり準備してから行動してきました。


なので、
満を持さずに行動すること


これが私のこれからの
キーかなと感じています。



きっと、
全く同じではなくても、
あなたの中にも同じようなところが
あるのではないかと思います。


参考にしながらぜひ、
掘り下げてみてください。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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