映画『奇跡のリンゴ』を見て、謙虚さとは何かを考える

こんにちは、さやかです。



『奇跡のリンゴ』
という映画を見ました。



主演の阿部サダオさん出す、
魂のオーラに魅了され、
感動で涙、涙。

あんな純粋な魂で生きれる人でありたい。



映画のストーリー自体にも、
謙虚に本来で生きていくためのヒント
が散りばめられていました。




目次

諦めるということ

映画のストーリーは、
りんご農家に嫁いだ主人公が、

農薬被害に苦しむ妻のために、
無農薬栽培に挑戦する、というもの。



農薬が当たり前だった当時、
無農薬栽培への道のりは、
果てしないモノだったようです。



何年も何年もかけて、
様々な研究をし、工夫をして、
それでも全く結果が出ない。



もうどうしようもなくなり、
命を断とうとしたその瞬間、

ようやくその答えに、
たどり着くことができます。



これはつまり、
命を断つまで追い込まれた時、

初めて「諦める(明らかに観る)」ことができた、
ということ。



自分のそれまでの囚われや当たり前、
無意識の思考回路やこだわり、
そして「自分が成し遂げよう」というエゴなど。



人は背水の陣に追い込まれて、
初めてこれらを諦めることができる



全ては自ら傲慢さがもたらした、
ムダなあがきだったと気づけるようになる。



そうすると、
「最初からそこにあった答え」に、
気づくことができるのですね。



本来、人生はシンプルで、
いつも答えはそこにあるのに、
人は自らそれを跳ね除けてしまう。



自分で勝手に人生を複雑化している
のです。



それでもやっぱり、
人は追い込まれないと
抱えているモノを手放せない。



すぐには難しいこともあるけれど、
抱えているモノを手放してシンプルに、
生きていきたいと思いました。



謙虚であるということ

諦めるということは、
明らかに観るということ。



明らかに観るとは、
囚われを外してありのままに、
モノゴトを観ていく
ことです。


そして、
囚われを外していくとは、
謙虚になっていくこと
でもあります。



例えば、

✔︎「私」が結果を出したい
✔︎「私」が周りに評価されたい
✔︎「私」が優能な人でありたい

こんな傲慢な意識。



この意識がある状態では、
モノゴトをありのままに観れません。



「私」というフィルターを外すことで、
モノゴトをありのままに観れるようになる。



真実のまま、そのものそのまま、
に受け取れるようになる。



そうした時、
結果や評価ありきの意識が外れ、
今ここをたんたんと探究する意識に切り替わり、
謙虚な生き方に変化するのですね。



映画の主人公も、
「私」が何とかする!が外れた時に、
進むべき方向が見えてきた。



諦め、謙虚にあることが、
自分自身を本来で生きていくために、
とても大切な要素だと実感しました。



おわりに

先日たまたま、
米農家の方とお話をした時に、

自分にできることなんて何もないと
謙虚さを学んでいくのが農業だ

とおっしゃっていました。



自然からの大きな学びが、
畑には詰め込まれているんだろうな。



諦めることにしても、謙虚さにしても、
最終的には体感を通してしか、
腹に落とすことはできません




だから、
今目の前の日常を通して
自分の傲慢さ、「私」意識と向き合うこと。



積み重ねていきたいと思います。



では、また!



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この記事を書いた人

ヨガとマインドフルネス。「自分の声を聞く力」を育むためのLife Tipsを発信。自分を根っこから知ると、人生は自然と、大きく変わる。自分を生きよう。【自分の声を聞いて生きるためのメールマガジン】

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