『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』を読んで考えたこと

映画・本のこと

青山さやかです。



朝学校へ子ども達を送り届ける時、
横断歩道担当の先生が、
寒い中立って待っていてくれて、
大きな笑顔で挨拶してくれました。



先生は臨月の妊婦さん!



人によっては、
妊婦なのにこんな寒い中立たされて、
「大事にされてない」と悲しんだり、
「仕事だから」と自己犠牲を感じたり、

ネガティブな感情に
支配されかねない状況だと思います。



でも、
その先生はかわいいマフラーを
頭からぐるぐる巻きにしながら、
超ハッピーに「ふふふ〜」と笑っていた。



なんだかとっても心温まる瞬間で、
あぁ、そうか、
どんな環境だとしても経験だとしても、

幸せって本当に本人の捉え方次第なんだな
と腹落ちした瞬間でした。



ちょうど最近、
『心に折り合いをつけて
うまいことやる習慣』
という本を読んで、
幸せについて色々と考えていました。




理想って何だろう?
理想の幸せって何だろう?と。



この半年ほどで、
「こうなりたい、こうしたい」
と想いを抱くことに違和感を感じて、
なりたい自分への執着は手放してきました。



「どう在るか」は意識するけども、
「こうなりたい」は手放して、
今ココに集中するようにしてきた。



それでも、
どこかで「幸せの正解」を探していて、
理想の形を追い求めては、
そうなれないことに絶望する、

を自分がいたことに気づきました。



夫婦はこんな風に仲良くとか、
子どもとの関係はこんな風に、
こんなに笑える様になったらいい、
すぐに行動して継続できることがいい…
とか。



知らず知らずのうちに、
外の情報から自分にとって正解を定めて、
人生を窮屈にしている。



情報が多いこの世界で、
誰かの理想とか幸せなどの
参考資料は溢れていますからね。



でも、
誰かの正解が自分にしっくりくる
ことはほとんどなくて、
自分にとっての真実は
自分の中に探すしかない




分かっちゃいるけど、
どうしても正解探しをしてしまう、
理想にはまろうとしてしまう、
それが人間なのでしょうか。



もう理想は要らない
キッパリと手放したいなぁ。




さて、
本の中にもありましたが、
「そもそも幸せである必要があるのか?」
というところ。



幸せかどうかなんて、
気にしなくてええんです




この言葉を読んで、
私は「幸せな状態」に執着していた
そんな自分に気づきました。



人生を自分に都合のいい幸せな状態に
コントロールしようとしていた。



人生は、
自分にとって都合のいいことだけ
=思い描いたことだけ起きる、
わけではありません。



良いことも悪いことも、
必要があってその経験は与えられます。



大切なことは、
全ての経験をありのままに受け入れ、
気づき、理解していくということ。



幸せかどうかを考えている時点で、
それはジャッジの世界に囚われて、
ありのままの気づきは得られなくなります。



だから、
「幸せかどうかなんて、
気にしなくてええんです」
なのですね。



幸せかどうかでジャッジして、
自分にとって嫌なことを排除しようとしても、
人生は苦しくなるばかり。



嫌だと思うことでも、
そこには必ずメッセージがあって、
今回の人生の理解に欠かせない、
パズルのピースだからこそ起きています。



それをしっかり理解して、
自分の勝手なエゴで判断したり、
切り捨てたりすることなく、
日々目の前に起きることを受け入れ、
謙虚に学んでいくことの大切さ。



少しトリッキーですが、
自分基準の幸せかどうかでジャッジせずに、
人生をありのままを受け入れられること


=幸せは「幸せになりたい!」
と追うものではないと知ること

=今の状態がどんな状態だとしても、
それが自分にとっての最善で、
人は皆すでに”本質的には幸せ”だと悟ること

=今ココの完全性を理解すること、
これこそが本質的な幸せ

ということ。



幸せの本質って、
一般的な視点で見ると、

もしかしたらとても孤独で、
苦しいものなのかもしれない

とも思いました。



私は人生に過剰に期待を
しすぎてきたのかもしれないなぁ。




この他にも、
自然体だけれども
本質的な著者の生き方に、
様々に学ぶことがありました。



上辺の幸せに囚われるのではなく、
本質的な「幸せ」について考えたい時に、
とってもオススメな1冊です。



期間限定で、
アマゾンプライムで無料で読めるので、
ぜひぜひ。



今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

今日もマインドフルな時間をお過ごしください。

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