こんにちは、さやかです。
世界一キライなあなたへ、
という映画を見ました。
「幸せとは?」がテーマな最近。
世界一キライなあなたへ、
という映画もまた「幸せ」について、
考えさせられる映画でした。
自己執着という苦しみ
映画のストーリーは、
実家も裕福で何でもできて優秀で、
仕事でも恋愛でも成功を手にしていた主人公が、
バイクにはねられて下半身不随になり人生に絶望する、
というところから始まります。
先の見えない生活に主人公が
誰にも心を開かず自暴自棄になる中、
1人の女性との出会いにより光を見つけます。
人生を取り戻したかに見えたものの、
最後には予想外の選択をする、
という尊厳死についてのお話でした。
死生観について考えると共に、
執着についても考えさせられました。
下半身不随になった主人公が、
希望を見失って苦しんでいるのは、
執着しているから。
「以前の自分だったら」、
と自分の身体にしても、スキルにしても、
前の自分に執着しているために、
今を受け入れて生きることができない。
そう言葉でいうのは簡単ですが、
それがどれだけ難しいか。
私自身も、映画を見ながら、
生きることや自分の身体、
子どもや家族など大切な存在や思い出など、
まだまだ執着ばかりだと痛感しました。
身体も、感覚も、五感も、経験も、
それらを通して自分に気づいていくためにある。
以前、メンターに、
「今の執着やエゴが強い状態で
身体が動かなくなったら、ものすごく苦しむよ」
と言われた言葉が蘇りました。
全ては学びのためのツールであるのに、
そこに執着してしまうと、
そららを失った時に苦しむことになる、
ということ。
囚われや執着が外していくことで、
目の前の人生をありのままに受け入れて、
どんな状態でも「幸せ」である、
そんな意識が育まれていくはずです。
簡単ではないけれど、
一つ一つの執着と向き合っていきたいと、
改めて立ち止まるきっかけとなりました。
大切だからこそ
自分が大切、
自分の人生が大切、
この大切な大切な人生…
この思いが行きすぎると、
・自分が人生を思い描いた通りにしたい
・理想の形を壊されたくない
といった傲慢さが生まれてしまうように思います。
もちろん限りある人生を
大切に思うことは大事なのですが、
「私」や人生を過度に大切にしすぎると、
謙虚さを見失いがちになる。
(自分を粗末に扱えという話ではなく)
人生を大切にすることは、
「私」の思い通りにしようとする、
ことではないのですね。
どんな日常だとしても今を受け入れて、
この日常に感謝をして謙虚に応えていくこと。
日々を通して、
「自分とは何かに気づいて
自己理解を深めていくこと」
に徹すること。
これが人としての使命、
「人生で本当にすべきこと」
なのだとつながってきました。
おわりに
自己の外側への執着は苦しみになる。
こうしたヨガの教えが、
よく理解できる映画でした。
自分の本質以外はどんなモノゴトでも、
必ず変化するモノだから。
そのことを知った上で、
執着をしないようにするのではなく、
執着を全て手放そう
(=死を受け入れよう)とするのでもなく、
「執着している自分に日々気づいていくこと」
これが何よりも大切です。
完璧な「私」にはなれないから。
謙虚さを持ってマインドフルに、
日々たんたんと理解に徹する。
そのことで、
どんなことも受け入れられる強さが、
自然と身についていくのだと思います。
では、また!
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青山 さやか|
海外在住11年(テキサス州ダラス) /2児の母 /アウトドアRVer
高校3年での母との死別をきかっけに、人生とは何か?自分とは何か?についての探求が始まる。ありのままの自分で本当の自分を生きるマインドフルネスと出会い、人生が大きく変わる。自由に思い切り自分らしく、マインドフルに人生を送るマインドセットを広げるべく活動中。
マインドコーチ /マインドフルネス&ヨガインストラクター/シンガーソングライター
マインドフルライフスタジオ主催