自分軸を手放すにはまず自分軸を確立してから

意識を整える

青山さやかです。



不足感ベースで生きていませんか?



根深い不足感をどう癒していくか
がここ最近のテーマです。



不足感がある状態とは、
欲望が強い状態であり、
つまりは恐れが強い状態。



欲望の根底は、
「存在していたい」という意識です。



存在していたいという意識とは、
外から何かをとりこみたい、
何かを取り込むことで自分を確立したい、
という意識。



そして、
「存在していたい」に対して、
命は死に向かって歩むものなので、
「消えていく」という恐れが生まれます。



もう少し日常レベルで考えると、
消えていく=変化する不安定な自分
に恐れを感じるので、

何とか自分の存在を安定させようと
何者かになろうと気張ってしまう。



欲望や恐れが強いほど、
何かを取り込んでいないと
自分は完全でないと思っているので、
常に不足感がある状態です。



でも、
どれだけ外のものを取り込んで
自分を確固たる存在にしようとしても、
この世界の全ては変化し続けるものであり、
安定することはありません。



不安定な自分がなくなることはなくて、
常に外部要因によって軸がブレて
苦しい人生になってしまいます。



自己の安定のためには、
外の要因によって成り立つ「私」
=自分ではなくて、

自己本質=自分であることの理解
が必要になります。



自己本質とは、
常に人生を俯瞰している存在で、
宇宙(創造主)の一部であり、
完全な存在です。



完全な存在である自己本質が、
身体や能力といった道具を通して、
この世界を体験しているはずなのに、

いつの間にか道具が自分だと思い込み、
道具に執着していくから
自分の存在が不安定になってしまう。



自分とは何かを問い、
自分の存在は完全であることを思い出すこと、
これが人生の目的であり、
その道に本来の学びがあります。



話が少し逸れましたが、
つまりは、

不足感がある状態とは、
欲望が強い状態であり、
それにより恐れも強くなり、


つまりは
完全性を理解できていない状態


ということ。




これに対して私はこれまで、
欲望やエゴを強めてしまう不足感
そして不足感が生む執着、
と向き合ってきました。



具体的には、
まずは自分の外側と内側を見つめて、
自己本質ではないものに気づいていく

「私」=自分だと思っている部分に
気づいていきます。



そして、
その「私」の確立のために執着している、
自分が外から取り込んでいるものをリリースし

それ以上、
外から取り込まない意識を育んで
いきます。



「私」の確立のために執着している、
自分が外から取り込んでいるものとは、
心のクセ(思考や感情のクセ)=偏りです。



相対性の世界で、
どうしても陰か陽のどちらかに
生きる軸を置こうとしてしまいがち
(それが外から取り込んでいる状態)



自分の心のクセ、
偏りに気づいていくことは、
自分の執着に気づくことであり、
自分と自己本質を見極めること

でもあります。



この作業を続けていく中で、
今までに比べてブレにくくなり、
客観力や柔軟性が育まれ、
とても生きやすくなっていると感じます。



「私」を手放すほどに、
自由になっていく自分を感じます。



ただ、
完全性の理解を深めようと、
偏りのない中心点で生きようとする時、

クセ・偏り=「私」という意識を
全部手放そうとすると、
ものすごい恐怖に襲われます




恐い。



何によっても
自分を確立しなくていいなんて、
恐すぎる。



自分の存在は本来は完全で、
この世界も完全性の元にあるのは
頭では理解しているけれども、
「私」を捨てることは恐い。



消えゆく自分の存在を
何かによって確立しようとしない、
消えゆくことに抵抗しなくていいとは
到底思えない
のです。



どうしたらいいのか、
何が必要なのか。



ここで、
学生時代のスポーツチームでの感覚、
守破離」が思い出されます。



私は学生時代、
タッチフットボール(アメフトのタッチ版)
という競技をしていたのですが、

4年生でキャプテンを務めていた時、
私は自信に溢れていたし、
圧倒的な存在(自分にとって)
であったと感じています。



日々練習を重ね、
24時間ボールと一緒に過ごすほど没頭し、
身体も思うがままに動いていて、

自分なりのプレイスタイルも確立していて、
フィールドでどうあったとしても
自分は大丈夫だと思えていました。



(もちろん学生だったので、
まだエゴが強くて、
そのエゴがでてくるが故の
失敗や緊張はありましたが)



その状態で臨む試合では、
もちろんチームとして勝つためにとか、
プレイを成功させるために等はあったものの、
プレイの間は無心であり、

相手がどう出るかを感じて、
全体的なフィールドの動きを読み、
後は直感と流れのままに勝手に身体が動いていく、

という、
とても自由な感覚だったことを覚えています。



守破離でいうと、
基礎練や実践練を重ねて型にハマり、
その経験を通して
自分なりのプレイスタイルが確立できる。



そして、
自分なりのプレイスタイルにより、
自分は大丈夫だと自信が持てると、
後はそのプレイスタイルすらも捨てて、
流れに委ねて直感で自由に動ける。



つまり、
「私」というものを手放すには、
自分を信じる力=自信が必要自信が必要

ということになります。



私は大丈夫だと思える、
絶対的な自分への信頼があるからこそ、
「私」という自分を捨てることも
感覚に委ねることもできるようになる




自分を信じる力が育まれていないのに、
全てを捨てようとすることって、
そりゃ不安ですよね。



まずは、
自分軸をしっかりと持つこと、
内側に意識を強く引き込んで、
周りにブラされない自分軸を作ること




それができてこそ、
自分軸や自分らしさすらも手放して、
流れに委ねて生きることができるようになり、
自由に生きられるようになっていくのですね。




今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

根強い不足感から解放され、
愛の中に生きられますように。

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