ど真ん中にないあり方はとても弱いんです

自分らしさの見つけ方

青山さやかです。



久しぶりにモヤモヤした朝。



ここ数日ダラスは寒い日が続き、
なんとなくそれにも、
心が引っ張られる気がします。



今回は、
「ブレやすいあり方」
についてお届けします。



夫婦の話し合い

昨晩は、
大腸癌の定期検診を受けるか受けないか、
で旦那と対立しました。



私の母は、
大腸癌で亡くなっています。



そのため、
西洋医学では定期検診が必須と言われて、
前回の検診からもうすぐ5年が経つので、
次の予約をしなければならないのですが、

ここ最近自然療法を学び、
身体改革を進めている私には気が進みません。



また、
ヨガ哲学の場でも「死とは何か?」
と問いを深めていく中で、
予防にばかり目を向けることにも、
疑問を感じ始めています。



吹っ切れずにいると、
「死ぬ覚悟はできているのか?」と聞かれ、

「恐さは拭い切れないながらも、
死を受け入れるために毎日必死で学んでいるのに。
死と本気で向き合ったことがないのに、
よくそんな言い方ができるな…」

と、
日々の努力を一掃された様に感じて、
ショックを受けました。



モヤモヤを感じながら、
悪い状況に対して悪い気分になる自分に、
まんまと罠にハマっているわぁ…
と思いながら眠りにつきました。



完全性を信じ切る

で、ここでのポイントは、
私がなぜショックを受けてしまうのか、
というところ。



まだまだ、
自分の完全性を信じ切れていないのですね。



「理想の自分になれていないと価値がない」、
と思っているから、
理想の自分になれていない自分を指摘された時に、
落ち込むことになる。



または、
「誰かに認めてもらうために努力をしている」
という心があるから、
努力を否定されたように感じると悲しくなるのです。



自分の外側に存在意義を見出そう
というあり方はとてもとても弱いです。



自分の外側は、
どこまでも曖昧で不完全で、
変化し続けるものだから。



自分の中心を信じ切る力を育む必要性を、
再度お達しされたような気分でした。




ちなみに、
努力とは何でしょうか?
努力をしたら報われるのでしょうか?



まず、
結果はコントロールできるものではありません。



そしてそれ以前に、
努力は報われるためにするのではなく、
全力の日々を積み重ねる道そのもの




それなのに、
認めてもらえるか認めてもらえないかで、
一喜一憂しているということは、
本気で努力しているとはまだ言えないレベル
だな、
と痛すぎる気づきになりました。



意識を内側に向けてマインドフルに、
すべきことをたんたんと、ですね。



おわりに

モヤモヤしていた今朝は、
朝のルーティンのヨガで、
身体に意識を向けてグラウンディングしてから、
まずジャーナリングの時間を取りました。



ジャーナリングとは、
自己対話方法の一つ。



私は、
身体に意識を向けることと同じくらい、
ノートに書き出すことも無心になれるんだな、
と気づかされました。



意識が外に向いてしまい、
思考や感情に持って行かれがちな時は、
無心になれる何かで心を整えることが、
とても有効
です。



無心になれる何かがない人は、
呼吸に意識を向けることも効果できですよ。



ぜひぜひ試してみてください!!




今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。

モヤモヤする時は、
まず無心になる時間から。

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