青山さやかです。
昨日の月曜日は、
先週から週末まで続いた、
ハードスケジュールと寝不足でダウン…
いやぁ本当疲れてました。
エゴが緩んでいく中で、
眠りの質は良くなってきているですが、
自律神経がまだ崩れやすいので、
寝不足が続くと調子が崩れる。
理想は、
安定した一定のエネルギーで
日々を生きていくことなのですが、
何かとアップダウンが激しいです。
バランスボールの上に、
片足で立ち続けていられない、
みたいな感覚。
力まずにしなやかに、
バランスボールに片足立ちしていられる、
そんな筋力(=軸)をつけていきたいな。
さて今回は、
「人は否定してくるもの」という心のクセ、
についてお届けします。
「人は否定してくるもの」が根づいた過去
人との関わり方を
再構築しているここ最近。
これまで、
分離(敵視や競争)の意識で
関わってきた人との関わりを、
愛で関わっていこうと模索中です。
まずは一番心のクセの出やすい、
身近な関係から。
子どもとの関係では、
イライラして言う必要はないのに、
イライラしてしか伝えられない自分、
が見えてきました。
どうして、
イライラしてしか言えないんだろう?
何を恐がっているんだろう?
その原点はやはり幼少期にありました。
自由奔放で無鉄砲だった私は、
厳しく熱い母に叱咤され、
比較されながら育つ中で、
善悪の鎖でがんじがらめになっていきました。
本当はそのままの自分を出したい、
怒りや芯の強い私も認めてほしい、
もっともっと自由にありたい。
でもそのままでいると
母には認めてもらうことは
できませんでした。
「そのままの私では、
ここに存在してはいけないんだ」
存在価値を否定されている
と感じたその悲しみが、
「否定されること」への強い恐れへと
変わっていったのだと思います。
そのうちに、
心の奥に「人は否定してくるもの」
という厚い氷の壁を作り、
傷つけられる前に攻撃するという
スキルを身につけるようになりました。
どうせまた否定してくるんだから、
相手が否定できないような主張の仕方をしよう、
有無を言えないくらい知識を身につけよう、
自分の方が上だということを証明しよう。
それが、
身近な人と関わる時に、
イライラしてしか伝えられなかったり、
人との関わりが分離ベースとなった原点。
そんなことが整理されていきました。
お守りとの関わり方
この心のクセは、
これ以上否定されることで、
存在価値=生きる意味を見失わない様に、
幼い頃から私を守ってきてくれたお守り。
今までのやり方を変えようと、
愛を愛で差し出していこうとしたり、
心開いた状態で相手に関わろうと試みると、
必死でまた守ろうと発動してくれます。
わぁまた出てきたー!
またこのクセもう要らないのにぃ!
と悪者扱いしてしまいがちですが、
今まで自分を守ってきてくれた鎧は、
愛すべきものだよという言葉をいただき、
本当にその通りだなと思いました。
必死に自分がそれ以上傷つかない様に、
ずっとずっと守ってくれた大切なスキル。
イライラして伝えてしまったり、
素直に心を開けなかったり、
分離の意識が出てきてしまっても、
押し退けようとする必要はないのですね。
まずは、
クセが発動していることに気づくこと。
そして、そのクセを、
消そうとせずに受け入れて、
それを借りて中心を探り続けていくことです。
例えば、
傷つくのを恐れて人を攻撃するクセから、
派生する細かな心のクセを紐解き、
自分の過去の悲しみを紐解き、
囚われを一つずつゆるめていく。
嫌いなクセに蓋をしてしまっては、
その探求は深まりません。
そしてそのクセを、
これまで守ってくれた愛おしい存在
として少しずつ受け入れていくことで、
中心の探求が深まり、ある時、
これまで恐れ続けてきた自分をも
そのまま包み込んで癒すことができる
のだと思います。
おわりに
もう少し大きな視点で見ていくと、
自分を守るためだけでなく、
人生で陽を深く探求するために、
この陰のクセが必要だったのだと気づきます。
陰という強いクセがあったから、
陽を深く探求することができた。
今回の場合だと、
相手への強い分離の意識が、
深い愛の世界の理解に繋がった、
ということになります。
そして今、
陽の探求が深みを極め、
その陰のクセを乗り越える時ならば、
まず行動して大丈夫を体感することで、
陰のクセを安心させてあげることです。
そうしたら、
そのクセはその役割を終え、
自然と薄れていくのだろうと思います。
ただ、
行動することには恐さが伴います。
この恐さを乗り越えるには、
それなりの勇気が必要ですが、
愛に深く気づき始めた今なら、
踏み出せる気がしています。
無理なく一歩ずつ、
やっていきたいなと思っています♡
今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。
心の恐さの根っこを愛して、
癒していけますように。