バランス力に不可欠な「感じる力」

自分らしさの見つけ方

青山さやかです。



今週は、
藤沢方面へ物件を見に行ったり、
我孫子の素敵なカフェに行ったり、
ヘアカットに行ったり。



様々にインスピレーションを
感じ受けながら過ごしています。



日本に到着してから様々な局面で、
「私」を静めて流れに委ねることと
直感的な本質からの中心軸を育むことと

このバランスに直面させられています。


今回はこのバランスに必要不可欠な
「感じる力」についてお届けします。



頭で考えても分からない

流れに委ねることは大切だけれども、
受け入れすぎてしまうと
自分の中心軸を見失ってしまう。



流れに委ねること
=他人軸で生きること

になってしまうのは違うけれど、

かといって、
自分の中心軸で生きる
=流れに逆らって生きる

でもないということです。



このバランスって、
やっぱり感覚を研ぎ澄ますこと
でしか分からないんだと思います。



頭で考えても混乱するだけで、
感じる力を磨いていくと、
直感的に「すべきこと」がクリアになる。



最近感じるのが、
これが直感的に感じる方向だ!
と思って選択したとしても、
実は偏った思考による判断だった
ということがよくあることです。



特に身体との対話をみていくと
分かりやすいのですが、

本当に身体の声を聞けて選択できているか?
欲望の声で選択していないか?

を観察していくと、
ほとんどが欲望だったりするように感じます。



あれを食べたいとか飲みたいとか、
身体が本当に求めてることを感じるって、
練習が必要だと思いませんか?



感じている「つもり」で、
欲望の声に縛られていくと、
人生は複雑になります




「私」をしずめることと、
中心軸を育むことをつなげていく。



そのためには、
「感じる」を探求する
必要がありそうです。



感じる力を育むこと

感じる力を育むには、
刺激に囚われる心を鎮めること




このところ、
自分も含めて現代人がどれだけ
無意識に刺激に囚われているのか、
ということを実感しています。



目の前のことを受け入れられない、
目の前のことに真剣になれない
(つまらない、楽しくないと感じる)、
どこか外に存在意義を探しにいくことも、
一種の刺激中毒ではないでしょうか。



娯楽を求める心や、
子どもたちの強い刺激があるほど
やめられない心も全て刺激によるもので、

そうやって考えると、
今の社会は刺激によって
支配されているようにさえ
感じました。



刺激があることが幸せだと思い込むことや、
もっともっとと欲することで、
心が必要以上にエネルギー消費したり、
逆に日常の本質を見失って、
不足感やイライラも感じやすくなります。



一時帰国で過ごしていても、
日々は自己を探究するためにあり、
どんな経験も自分とは何かを知るための
一つのメッセージにすぎないと分かっていても、

ただいい思い出を作ることや
楽しい時間を過ごすことに囚われて、
本質を見失うこと
も少なからずあります。



刺激を求めることが当たり前すぎて、
どんな時も無意識に刺激を求めて
日常を生きてしまう。



そんな中で大切なことは、
できる限り観察する心を見失わないように、
意識して過ごしていくことです。



そして、
その観察力を育むことが
感じる力を育むことにもつながっていく

そんな風に思います。



おわりに

とにかく大切なことは、
考えすぎないで感じること。



そのためには、
「ただ観察する」ということが
とても大切だと感じます。



もちろん心の奥が求める
「心地よさ」や「方向性」はありますが、
それが本当の中心軸なのか?!というと、
そうとも言い切れないことも多いと感じます。



だから、
心地よさとは違うモノゴトや
存在を否定するのではなく、
目の前に現れるコトをジャッジせずに
ただただ観察する。



それが大事なのかな、
というかそれだけでいいのかな、
と思ったりします。



偏りとの同一化を外して
観察できるようになっていく。



そうして、
一つずつ丁寧に皮を剥いて
囚われが外れていくと、
結果的に「感じる力」が上がっている

そんな流れなんだと思います。



日々、深めていきたいですね!



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

考えすぎずに見つめられますように。

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