こんにちは、さやかです。
この週末は家の大掃除で、
家のすみずみの細かいところから、
フロント&バックヤードの庭の手入れまで、
親子でガッツリお掃除しました。
毎日何かと忙しいので、
すみずみまでキレイに!は
なかなか行き届かないので。
こうして、
やるぞー!と決めて、
家族を巻き込んでの掃除、
たまにはいいなと思いました。
子どもたちは「やりたくなーい」
と文句を言っていましたが 笑、
こうでもしないと
「いつも使わせてもらってありがとう」
という気持ちを忘れがちですもんね。
さて今回は、
「理想通りの自分であること」
についてお届けします。
理想の状態をキープしたい
毎日一定でありたい、
できたら穏やかに過ごしたい、
そんな気持ちってありませんか?
私ももともとは
起伏の激しいタイプだったので、
自分を深く見つめて囚われがゆるんで
「穏やかにある状態」を知ると、
毎日一定に穏やかに過ごしたい!
と思うようになりました。
が、その時の
毎日一定に穏やかに過ごしたい!
という気持ちは紐解いてみると、
毎日同じ理想の状態でありたい!
という気持ちでした。
自分をしっかり整えて、
毎日体調も万全で、
自分で決めたことをしっかりこなして、
イライラしたりモヤモヤしたりせず、
おだやかに過ごしたい、と。
でもね、
人生山あり谷ありなワケで、
「毎日同じ」はあり得ないワケです。
毎朝学校まで歩いて送迎していますが、
1日として同じ空はない。
つまりは、
自分を毎日包み込んでいる環境、
気圧や湿度や気温や空気なんかも
目には見えないけど毎日違うのです。
身体も、
毎日代謝が起きていて、
入れ替わったりゴミ掃除がされたり、
身体の中も昨日と同じではない。
そう考えていくと、
毎日全くイコールの自分でいることは
不可能ってことになります。
つまりは、
毎日同じ理想の状態をキープして
理想の型にはめようとすることは、
ある意味人生の川の流れに逆らい、
コントロールしようと執着している状態。
・毎日理想通りの自分であること
・毎日理想通りに完璧に過ごすこと
と「理想通り」を目指した時点で、
人生は苦しくなってしまうのです。
移り変わりを受け入れる
人生とは何か?と考えていくと、
人生は観察を通して理解を深めていく場、
となります。
つまり、
自分を取り巻く環境や状況や
自分の状態というのは、
理解を深めるためにあるもの、
ということ。
だから、
理想の状態をキープすることより、
いい状態もあれば良くない状態もある、
その移り変わりを観察して
理解を深めることがとっても大事です。
もっと言えば、
理想の状態を保とうとすることには
あまり(全然)意味がなくて、
苦しみを生むばかりということになります。
逆に理解を深めていくと、
結果的に以前よりも
いい状態を保てるようになったり、
あまりトラブルに巻き込まれなくなったり、
という変化が起きたりもします。
例えば、
昨日は痛くなかった肩が今日は痛いとか、
先週はイライラしにくかったのに
今週はなんだかイライラしやすいぞとか、
そんな経験をしたとします。
こうした時に、
理想の状態でない自分にがっかりして
自己否定していても意味がなくて、
「移り変わり」を観察することで
自分についての理解を深めることが大切。
そしてその理解が深まっていくと
痛みや重さや不快感を感じる経験も
自然と減っていくということです。
移り変わることを受け入れて、
理想の状態でない自分を押しのけずに
理解を深める材料にする。
そうすることで、
逆に本質的な変化と共に
理想へと近づいていくことができます。
おわりに
ところで、
本当の意味での
日々一定で穏やかであること、
とはどういう状態でしょうか?
それは、
たんたんとブラされることなく、
中心軸で生きられている状態です。
そのためには、
常に変化し続ける自分を見つめる視点
をしっかりと育んでいくこと。
毎日自分を取り巻く環境は違うし、
毎日身体の状況は違うし、
毎日気分のアップダウンもあれば、
予定通りな日もそうでない日もあります。
そんな中で大切なのは、
それらの状況・状態と一体化せずに、
それらを見つめ続ける視点を持つこと。
この視点が育まれるほど、
中心軸がブラされることはなくなるので、
本当の意味で一定に穏やかにいられます。
そしてこの視点を育むためにも、
日々の事象を観察して理解していくこと、
が必要になります。
見つめられるようになろう、
一定にあろう、穏やかにあろうと、
理想に「なろう」とするのではなく、
日常を地道に探求していくこと。
そのことが何よりも重要です。
今日も最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
理想や正しさから解放されますように。